語り:春風亭昇太

東海道五十三次 17番目の宿場町であった興津(おきつ)は“あんこのふるさと”とも呼ばれています。
それは、明治時代、興津出身の北川勇作(きたがわゆうさく)が、あんを作るための機械を発明し、同郷の内藤幾太郎(ないとういくたろう)とともに日本の製あん業の基礎を築き上げたことに由来します。
小豆を炊き、つぶす。和菓子に欠かせない餡づくりは、なかなかの重労働です。その作業を楽にしてくれた興津出身の2人の功績は大きく、機械による製あん技術は全国に広がっていきました。
製あん業の礎(いしずえ)が築かれた興津には、今も、あんこにこだわる和菓子屋があります。明治30年創業の老舗が、創業当時から作っているのは、皇太子だった頃の大正天皇に献上されたというお菓子です。
明治、大正の時代、海に近い興津は皇族の方々の静養の地でもありました。
清見寺に滞在していた幼い皇太子殿下のために、この店の主人が酒種(さかだね)を使った皮でぎっしりとあんを包んだおまんじゅうを作りました。
子どもが食べやすいよう、酒の風味をおさえ、小さな一口サイズに仕上げられたまんじゅうを宮様は大変気に入られたと言います。
当時の宮内省から「宮様」の名(めい)を許され、明治から令和の時代まで 100 年以上にわたって、その名前と味が受け継がれています。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。