
(山田)今日は、リスナーさんから、「3時のドリル」のコーナーへ質問をいただきましたのでそれを解説していただこうと思います。
「長野県中野市の事件で、事件発生後数日間は犯人の情報を伝えるとき、必ずと言っていいほど、父親のことを出し、〇〇議長の長男と報道していました。容疑者は30歳を過ぎた大人なのに、わざわざ父親の名前や立場を付け加える必要があるのでしょうか?」
(市川)すごく難しい質問ですね。新聞に何を載せて何を載せないのかというのは、大きなルールはありますが、日々、それぞれの事件に対して議論をして決定しているので、これが答えだっていうのは実はないんですよね。
(山田)悲惨な事件だったので、注目度も高かったです。容疑者の家族まで巻き込んで報道するのかっていうところで、疑問に思った方は多いようですね。
「公人」が1つの基準
(市川)自分の家族が犯罪を犯して容疑者になったときは、やはりすごくつらい思いをされると思うんです。その時にさらに報道が追い打ちをかけると、ものすごくつらいことになると思うので、新聞をはじめとする報道機関は、プライバシーへの配慮を考えて新たに傷つく人が出ないような報道を大前提として心がけています。今回のケースでなぜ容疑者の父親の職業を出したか。結論を言うと「公人だったから」というのが一番大きいですね。「公人」とは、公務員や議員、大きな企業の社長など、ある程度の権力を持っている人。さらに公務員とか議員である場合は税金で給料を賄われていて、彼らの仕事の部分だけではなくてプライベートの部分、いわゆる人間性の部分がいろんな政策などに影響を与えるので、公人のプライバシーはある程度制限される。
今回の事件では父親が市議会議長だったんですけど、これって、もう市長と並ぶような公人中の公人なんです。容疑者がその方の息子さんであった。しかも議長の自宅が犯行現場だったんですね。事件や火事の現場がどういう場所かは報道するのが一般的です。そういった意味で、今回の立てこもり事件は「公人だから」っていう理由と「現場がそのお父さんの家だった」という理由から報じたと、答えられます。
(山田)でも情報を出すか出さないかっていうのは、各社が検討して、報道してるわけですよね。
(市川)静岡新聞はこの事件に関して9回報道しています。最初の立てこもり発生から始まり、逮捕、その後の動機などを出していますが、実はその父親のことに触れたのは2回目までで、3回目以降は一切触れてないです。メールで質問をくれた方は「必ずと言っていいほど父親のことを出した」というようなことを言われていましたが、多分メディアによって差はあったと思うんですよ。
メディアにはラジオ、テレビ、週刊誌、ネットメディアなどいろいろありますが、媒体によってすごく色があります。報道の基本的役割として三つ大きな要素があって、一つは「事実の記録」、もう一つは「権力の監視」、あと一つが「人々の興味関心(知る権利)に応える」ということです。媒体によって何に重きを置くのか違いがあるんです。
(山田)最後の「人々の興味関心」ってところが、結構SNSなどで重視されている気もしますね。
(市川)週刊誌やテレビは興味関心の部分に寄っている部分があると言われますし、新聞はどちらかというと「事実の記録」、「権力の監視」を優先しているとされてます。だから、例えば今不倫報道が世の中で騒がれていますが、新聞の一般紙で報じているところはおそらくないと思います。
(山田)ツイッターで意見を寄せてくれた別のリスナーさんは、父親のことを出したりするのは、キャッチーな部分として、視聴者に注目されるためではないかと指摘しています。
(市川)「報道が興味関心のところに寄り過ぎているんじゃないのか」っていう議論だとは思うんですが。新聞でも「これは人々の興味関心に応えるニュースだな」と思ったら、ある程度大きく扱うということもあります。今回の件で言うと、容疑者の動機や、4人も亡くなってしまった重大性や原因について考えたときに、その人がどんな仕事をしていたのか、どんな生活をしていたのかというようなことも知りたいんですよね。
容疑者の「人となり」報道は必要なのかということもよく議論になります。人となりの報道には原因究明や注意喚起、再発防止の役目があり、「もう二度とこういう事件が起きないようにするため、みんなで考えよう」という目的で報道していると言えます。
(山田)何とも難しいテーマです。どこまで報道するかですね。
人々の不安を解消する役割も

(市川)一切こういったものを報じない社会になった時にどんなことが起きるか。例えば、警察が近所で道路を封鎖したりしている。だけどニュースは一切報じられないので、何が起こってるのかよくわからない。そのときに「あそこで立てこもり事件があったようだ」という噂が流れたりすると思うんですね。報道がないと、その地域の人は「あの家かもしれない」という疑心暗鬼にとらわれて、地域が混乱してしまうということも考えられます。
火事が発生しもくもくと煙が出ていて、「どこで火事があったの」と思って、翌朝の新聞を見たときに、「そうだったんだ、あそこで火事があったんだ」と理解できます。そこで何かあったっていうような漠然とした不安が、報道によって解消されるということですね。
そういった意味ではどちらの社会がいいのか。漠然とした不安を抱え続けるのか、ある程度のプライバシーは配慮しながらも、「ここではこういうものが起きたんだよ」っていうのが伝わる社会がいいのか。これは究極の選択ですけども。
(山田)SNSなどで、出なくてもいい情報が出ると、バズりますよね。「言わなくてもよかったでしょ」っていうところまでみんな知りたいんじゃないのかなと思ったり。
(市川)人間はやっぱ知りたい生き物なんで、そういう部分もありますね。ただ、一定のルールを設け、「ここまでにしようよ」「そういった情報はここまで突っ込むのはやめようよ」っていうような議論があると、いい社会になっていくのかなと思いますね。
(山田)こういった気になったニュースなどありましたら、3時のドリル宛に送ってきていただけたらと思います。今日の勉強はこれでおしまい!