「原水爆の被害者は私を最後に」第五福竜丸・久保山愛吉さんの命日に墓前で誓う核廃絶への思い=静岡・焼津市

9月23日は、アメリカの水爆実験で被曝した第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんの命日です。戦後に起きた核の悲劇を後世に伝えようと、久保山さんの地元・静岡県焼津市で追悼行事が開かれました。

「核兵器を作るな」

焼津市で行われた平和行進。9月23日は、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の無線長だった久保山愛吉さんの命日です。

1954年3月1日、アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験では、多くの漁船が巻き込まれました。第五福竜丸は「危険区域」の外で操業していましたが、乗組員23人が「死の灰」を浴びて被ばく。久保山さんはその半年後、放射能症により40歳の若さで亡くなりました。

平和行進の目的地は、久保山さんが眠る弘徳院です。約150人の参加者は、久保山さんの墓前で静かに手を合わせました。

<参加した高校生>
「原水爆が無くなって、戦争とかも全くないような世界になればいい」

<参加者>
「被曝者が核兵器をなくそうと頑張って歩んできたことをもっと知らせたい」

「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」。参加した人たちは、久保山さんが遺した言葉を胸に、核兵器廃絶への思いを新たにしていました。

「あしたを“ちょっと”幸せに ヒントはきょうのニュースから」をコンセプトに、静岡県内でその日起きた出来事を詳しく、わかりやすく、そして、丁寧にお伝えするニュース番組です。月〜金18:15OA

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