【オウム真理教事件30年】「悪い人間に見えず」後悔 教団が富士山麓に拠点着工、進出に協力の住民初証言

オウム真理教拠点施設の跡地に建てられた盲導犬訓練施設「富士ハーネス」=19日午後、富士宮市人穴 オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件から20日で30年。富士山西麓の富士宮市人穴にはかつて、オウム真理教の一大拠点「富士山総本部」があった。「まさか、あんな事件を起こすとは思いもしなかった。協力するんじゃなかった」。教団が富士山麓に進出した時期に教団幹部らと直接関わり、教団を支援した地元の80代男性が初めて取材に応じ、拠点づくりを支えた経緯や後悔を証言した。
 忌まわしい記憶は静かに始まった。富士宮市人穴に教団が進出した1987年12月。その少し前から、後に教団幹部となる信者が市内に足を踏み入れ、修行の拠点となる用地探しに動き出していた。
 男性は自宅の庭先で知らない男に声をかけられた。「ここは修行に適してる。尊師がそう言っているんだ」。後に教団の建築部門トップとして幹部になる早川紀代秀元死刑囚=執行時(68)=だった。霊峰富士をどこよりも大きく望めるこの地域にはもともと、新興宗教が多い。どのような宗教かは言わなかったが、「悪い人間には見えなかった」。宗教団体が凶悪事件を起こす発想もなかった。
 男性は空き家になっていた物件を早川らに紹介し、「ここで準備したら」と伝えた。松本智津夫元死刑囚=執行時(63)、教祖名・麻原彰晃=も後から寝泊まりするようになった。そこには2カ月ほど滞在していたという。家をのぞくと、松本の背後に曼荼羅(まんだら)が見えた。オウム真理教という新興宗教だとこの時初めて知った。
 のどかで牧草地が広がる人穴の地では、信者が大型バスやコンテナ、テントで生活し始めていた。男性は金に困っていた同級生を早川につなぎ、土地の売買契約が結ばれた。同級生の父名義だったその既存宅地を教団が手にした。男性はチェーンソーの使い方を知らない信者に伐採や刃の研ぎ方を教えて手伝ったこともあった。
 男性は悔やむ。「若い人たちが多く集まって集落の発展につながればと思って協力した。それがとんでもないことになった」
 88年2月に教団が取得した宅地では、信者の手で拠点施設の建設が進んだ。地元と結んだ「工事は夜9時まで」との約束は無視され昼夜問わず作業が続いた。

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