17歳が下した決断
痛みに耐え続けてきた静岡学園のエース神田奏真が両足にメスを入れたのは9月8日。まだあどけなさの残る17歳の、苦渋の決断だった。左足の甲の外側の痛みはすでに1年時から抱えていた。右足の同じ部分にも痛みを覚えたのは今夏、7月下旬の全国総体が終わった頃から。どちらも疲労骨折の診断だった。
8月の段階で手術を選択しなかった理由は2つ。
U-18日本代表としてSBSカップ国際ユースサッカーの出場が決まっていたこと。もう一つは川崎フロンターレの練習会が予定されていたこと。どちらも無理をしてでも参加したかった。
「サッカー人生はここで終わりじゃない」
両足が悲鳴を上げたのは、痛み止めの薬を飲んで出場した8月下旬のSBSカップ後。耐えるのが難しいほどの痛みに変わっていた。ドクターによると、手術をすれば約3か月半のリハビリが必要となり、全国高校選手権県予選の出場は絶望的となる。逆に高校選手権を優先すれば、手術は年明け。川崎フロンターレへの合流が遅れ、プロ生活をリハビリからスタートしなければならなくなる。
川口修監督に相談すると、躊躇なく手術をすすめてくれた。「サッカー人生はここで終わりじゃない。続ければ、ケガがひどくなる可能性もある。選手権よりも、お前の次のステージの方が大事だ」
家族や仲間にも相談し、最後は自分で決めた。「今、手術をすれば全国大会には間に合う。フロンターレにも最高のコンディションで入団できる。みんなを信じて、手術をしようと思った」
「奏真を全国に連れて行こう」
全国大会前の最後のトレーニングマッチで軽快なプレーを披露する神田奏真
1週間ほどで退院し、選手権県予選を控えたチームのサポートに回った。大会期間中はスタンドに陣取り、ベンチ入りできなかった仲間とメガホンを片手に声を枯らした。「みんなを信じるしかなかった」。主将のGK中村圭佑が「奏真を全国に連れて行こう」という雰囲気づくりをしてくれていたのがうれしかった。
リハビリ期間中は「できることをやろう」と上半身の筋トレに励み、体を一回り大きくさせた。チーム練習に完全合流したのは、仲間が全国行きを決めてくれた県予選決勝から9日後、11月21日。予定よりも1カ月ほど早い復帰だった。「2カ月半の遅れを早く取り戻したい」というエースの表情は希望に満ちていた。
川崎FW小林悠からアドバイス
サッカーを始めたのは年少の時。小中学時代は、静岡学園OBの名古新太郎や松村優太(ともに鹿島アントラーズ)らも所属していた大阪東淀川FCでプレーした。「自分の苦手なテクニックを磨いてプロになりたい」と静岡学園の門をたたき、1年からAチーム入り。中学時代に目立った実績はなかったが、ルーキーリーグでゴールを量産したのがコーチ陣の目に止まった。
神田の持ち味はシンプルなプレーだ。静岡学園仕込みの派手なテクニックやドリブルとは無縁と言っていい。評価されるのは、最前線で体を張り、少ないタッチでボールをつなぎ、ゴール前に飛び込んでいく一連のプレーの質の高さ。クロスを“点”で合わせる得点感覚にも定評がある。
サガン鳥栖や川崎フロンターレの練習会に参加した時には、元日本代表FW小林悠(川崎)らに積極的にアドバイスを求め、相手を抑える手の使い方やマークの外し方を学んだ。プロからアドバイスをもらったことで、クロスからの得点が増えたという。
注目の初戦、バースデーゴールなるか
全国大会前最後となった12月17日のトレーニングマッチ矢板中央(栃木)戦は前半だけ出場した。川口監督は「コンディションはまだ50%だが、やはり神田がいるだけでタメができる。高田優(徳島ヴォルティス内定)の負担も軽減される」とうなずいた。
主将のGK中村は「昨年の奏真はなかなか点が取れなかったが、今年は奏真が勝たせてくれた試合が増えた。試合を決められる選手になっている」と、待ち望んでいたエースの復帰を喜んだ。
開幕を目前に控え、川崎フロンターレ入りする点取り屋の注目度は増すばかりだ。故障明けにも関わらず、“大会の顔”の1人としてサッカー専門誌の選手名鑑で表紙を飾った。プロ入り前の夢舞台で、どこまでその名を響かせることができるか。
「チームのみんなが僕を全国に連れていってくれる。だから、みんなに恩返しをしなければいけない。自分のゴールでチームを勝たせたい」
初戦の明徳義塾(高知)戦が行われる12月29日、神田は18回目の誕生日を迎える。

6月の静岡県高校総体決勝・清水桜が丘戦でゴールを決める神田奏真=エコパスタジアム