よみがえる高天神城 大河「家康」で注目 デジタル駆使し再現
「高天神を制するものは遠州を制する」と言われた難攻不落の山城・高天神城。徳川家康が武田軍と攻防を繰り広げた激戦地として知られ、大河ドラマ「どうする家康」放送を機に掛川市が制作したデジタルコンテンツの人気が高まっています。拡張現実(AR)や仮想現実(VR)などを駆使し、今はなきその姿をCGで再現しています。高天神城の歴史とともに1ページにまとめます。
掛川市のアプリ、特設ホームページが人気 現地散策も楽しめる
掛川市が戦国期の山城「高天神城」をPRするために制作したデジタルコンテンツの人気が高まっている。3月下旬のリリースから約2カ月半で、特設ウェブサイトの閲覧数は2万3千回、アプリのダウンロード数は1400回を超えた。大河ドラマ「どうする家康」では7月にも高天神城が登場する見込みで、市は追い風に期待を込める。
![往時の地形や構造物を再現した高天神城のCG画像。特設ウェブサイトで楽しめる](/news/images/n127/1266663/IP230619TAN000036000_0001_CDSP.jpg)
市文化・スポーツ振興課によると、閲覧・利用者は県内を中心に東海圏や関東圏に広がっている。城郭ファンのグループがアプリを利用した現地散策を楽しんでいる事例もある。担当者は「樹木がない丸裸の山にして遺構を復元するのは物理的に無理。デジタルの力で地形と築城技術を堪能してほしい」と話す。
高天神城は徳川軍と武田軍が激しい攻防を繰り広げたことで知られる。廃城は1581年で、440年以上が経過している。(掛川支局・高林和徳)
〈2023.06.25 あなたの静岡新聞〉
遠州東部の最重要拠点 武田軍との激戦地
遠州東部の最重要拠点だった高天神城(掛川市上土方)は、徳川家康が武田軍と攻防を繰り広げた激戦地。遠州灘を見下ろす城跡に今も武田軍が兵士を閉じこめていた岩穴などの遺構が残り、学芸員として調査に携わってきた戸塚和美さんは「戦いのはざまに人間ドラマがあった」と思いをはせる。
![高天神城の本丸跡。案内板が家康の勝利と孕石元泰の最期を伝える=掛川市上土方](/news/images/n127/1266663/11IP140508TAN000014000_01.jpg)
徳川家の歴史を記す「三河物語」によると、当時、今川氏家臣だった元泰の屋敷に、隣家の家康が飼うタカが迷い込んだ。捕まえようと訪ねた家康を、元泰は「三河の小せがれはうんざりだ」と何度もののしったという。
戸塚さんは、同城の戦いで家康が「勝頼の名声を失墜させ、東海道と遠州灘の物流要所を確保した」とみる。同時に「人質時代の雪辱を果たした」とその胸の内を推し量った。
高天神城跡
国指定史跡。標高132メートルの鶴翁山に造られた山城。三方が断崖絶壁、もう一方も尾根続きの“天然の堅城”で、「高天神を制する者は遠州を制する」といわれた。現在はハイキングコースとして人気を集める。JR掛川駅北口バス停留所3番乗り場からバスで約25分。
Q 高天神城の岩穴に閉じこめられていたのは誰?
A 家康の家臣、大河内源三郎です。武田勝頼が家康軍から高天神城を勝ち取った1574年の戦いの際に、家康方の大河内は最後まで降伏しなかったため、約7年間監禁されていました。その後武田軍を破った家康が大河内を救出しました。家康は自分を裏切らなかった忠節をたたえて、大河内に褒美を贈ったそうです。
※肩書などはいずれも当時
〈2014.05.10 静岡新聞朝刊【大御所の遺産探し 家康公顕彰400年 足跡を照らす⑪】〉
城跡で20年間観光ボランティア 大石鐘邇さん(掛川市)
掛川市の高天神城跡を拠点に活動する「高天神城観光ボランティアの会」を20年前に立ち上げた。戦国時代に武田氏と徳川氏が激しい争奪戦を繰り広げ、「高天神を制するものは遠州を制する」と言われた難攻不落の山城を観光客に案内している。83歳。
![大石鐘邇さん](/news/images/n127/1266663/IP230131TAN000092000_O.jpg)
「北側の搦手(からめて)門から石段を登ると籠城には欠かせない井戸曲輪(くるわ)があり、東に行くと徳川方の大河内正局が幽閉されたという石窟、西には見晴らしのいい馬場平などがある。標高約130メートルの山を生かした複雑な地形をしているため、1時間半~2時間かけてじっくり紹介している」
-見どころは。
「さまざまな場所に土塁や堀切が残され、当時の様子を想像できる。中でも全長100メートルを超える横堀や深さ10メートルの堀切は見応えがある。景色も良く、東側に登ると徳川家康が城を奪還するために築いた六砦(とりで)の一つで、おわんを伏せたような形の火ケ峰砦も見える」
-会を立ち上げた経緯は。
「城跡の近くで生まれ育ち、歴史が好きだった。子どもの頃は木が多くて怖かった印象がある。高天神城には山城が好きな人など、多くの歴史ファンが県内外から訪れるが20年前は案内板がほとんどなかった。観光客がせっかく来たのに何も分からずに帰るのは残念だと思い、看板制作や案内を始めた」
-活動内容は。
「現在の会員は5人。団体や個人などから依頼を受けて案内するほか、月に2回は登り、枯れ枝をよけるなど清掃している。傾斜が急な場所も多いが、学生時代から続ける卓球で足腰を鍛えているので、今後も依頼がある限り続けていきたい」
〈2023.02.02 あなたの静岡新聞〉