藤枝市西益津地区・田中城 家康ゆかり、円い城と円い街並み【わたしの街から】 

 藤枝市田中にある徳川家康ゆかりの田中城。家康がタカ狩りのために晩年に訪れたほか、タイの天ぷらを食べて腹痛と食あたりを起こした土地とされる。江戸時代後期、田中藩主・本多家の庭園であった下屋敷は城の南東にあたり、築山、泉水、茶室が設けられ、四季の草花や月見の名所で知られていた。市が庭園跡を史跡公園に整備し、本丸櫓(やぐら)を含むゆかりの建築物を移築、復元。城にあった建物の実物が現在まで残る歴史的価値の高い文化財として公開している。4月上旬は下屋敷の横を流れる六間川沿いで桜が見頃を迎え、地元住民に親しまれている。

※写真は上が南、下が北 同心円形の田中城跡周辺。縄張の名残がある(本社ヘリ「ジェリコ1号」から) photo03
史跡公園として整備された田中城下屋敷 下屋敷横の六間川沿いで咲く満開の桜
 堀や馬出曲輪・・・史跡点在
 田中城は約500年前、豪族・一色氏が今川氏の命を受け、屋敷を拡大して城としたのが始まりとされている。駿府城の西の守りとして重要な役割を担っていた。本丸を中心に四つの曲輪(くるわ)と堀が同心円状に配置された、全国的にも珍しい直径約600メートルの円郭式城郭が特徴。上から見ると、亀の形に似ていることから「亀城」「亀甲城」と呼ばれていた。かつての本丸は現在の西益津小に位置する。馬出曲輪跡の三日月堀二之堀。地域には数多くの史跡と案内板が点在する
 四重の堀に囲まれた縄張で有名な城は1871年に廃城となり、土地の多くは民有地に姿を変えた。しかし、現在も西益津地区田中地域の道路の形状は城の縄張の名残を伝えている。本丸から二、三重目の堀「二之堀」と「三之堀」、城門の外側に三日月形の堀と背後に土塁を設けて敵の場内侵入を防ぐ馬出曲輪(うまだしくるわ)「三日月堀」のほか、門跡や外堀跡、土塁跡などの史跡と案内板も地域に点在する。
 地元住民でつくる田中城跡保勝会は、ガイドや小学校での歴史の授業などを通じて魅力を発信している。2023年の大河ドラマ「どうする家康」の放映を受け、同年の下屋敷の入場者数は2万3336人と前年度比2436人増。保勝会の発起人の村松巌さんによると、県内外の観光客が多いという。
 一方で、村松さんは市民の田中城への知名度が低いとも話す。「日本に一つしかないとされる同心円形の城。全国に広めたいと同時に、藤枝市民にも良さを知ってもらって誇りにしてほしい」と思いを込めた。

朝ラー根付く地域 まちづくりに一役 「ちっきん」
 朝にラーメンを食べる食文化「朝ラーメン(朝ラー)」で知られる藤枝市。市内には競合店が多く、味のレベルも高い。田中城下屋敷から徒歩5分のラーメン店「ちっきん」は午前9時の開店から客が行列を作る。煮干しと昆布の2種類の天然食材でだしを取ったスープが、朝ラーの文化が根付く藤枝で異彩を放っている。煮干しラーメンを提供する知識亮二さん=藤枝市田中の「ちっきん」
 店主の知識亮二さん(52)が妻の貴久枝さん(51)と共に経営する。2010年ごろに煮干しの風味とうまみが特徴のラーメンを開発後、評判はうなぎ上り。しょうゆ、塩、冷やし、つけ麺を選んで味わえる。週末はインターネットの口コミなどを見て訪れた県外客も多いという。
 知識さんは「自信を持って提供できる商品。藤枝のラーメンを通じて、まちづくりの一役を担いたい」と言葉に力を込めた。
 

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