浜松にJチーム構想 2度断念、ハードルは高め 静岡県社会人1部など3チーム浮上

 浜松市内で、サッカーの新しいJリーグチームを発足させる構想が動いている。市サッカー協会関係者を中心に検討が進み、母体となるチームとして現在活動中の3チームが浮上した。協会は「オール浜松」の体制整備の必要性を訴えながら、スポンサーやサポーターの獲得など、実現に向けて本腰を入れる。

浜松を本拠とするJクラブが誕生すればホームスタジアムに見込まれる四ツ池公園陸上競技場=4月下旬、浜松市中区
浜松を本拠とするJクラブが誕生すればホームスタジアムに見込まれる四ツ池公園陸上競技場=4月下旬、浜松市中区
政令市をホームタウンとするJリーグクラブ
政令市をホームタウンとするJリーグクラブ
浜松を本拠とするJクラブが誕生すればホームスタジアムに見込まれる四ツ池公園陸上競技場=4月下旬、浜松市中区
政令市をホームタウンとするJリーグクラブ

 同協会によると、全国の政令市でJリーグのホームタウンになっていないのは浜松市だけ。このため、地域活性化の一手段として、Jリーグ入りを目指すクラブの創設を掲げ、周知活動を始めた。鳥井徳孝会長によれば、既にJリーグ入りを目指すことを公言している静岡県社会人1部の浜松シティFCと、非公表の2チームの中で調整中という。
 ホームスタジアムは中区の四ツ池公園陸上競技場の大規模改修を見込む。スポンサーは市内に本社機能を置く企業を軸に、市内外から幅広く募る考えだ。
 一方で、「浜松でJクラブを誕生させるのはハードルが高い」とみるサッカー関係者も多い。市内のJクラブ発足は過去に2度、幻に終わっている。
 PJMフューチャーズはジャパンフットボールリーグ(JFL)2部まで昇格したが、スタジアム問題などが解消されず、1994年に佐賀県鳥栖市へ移転した。監督を務めた桑原勝義さん(日本フットボールリーグ顧問)は「環境も整いだし、チーム成績も伴っていたが、行政の協力を得られなかった」と振り返る。
 本田技研工業サッカー部を母体に設立した浜松FCはJリーグ準会員に承認されながら、97年に経営の見通しが立たないことなどを理由に断念した。市内有力企業の多くが磐田市をホームタウンとするジュビロ磐田の株主で、磐田がJ1で躍進していた状況も「機運を弱めた原因」と当時の浜松FC関係者は語る。
 「浜松市Jリーグ誕生合同推進の会」は95年、16万人以上の署名を集め、本田のJリーグ入りの要望書を市に提出し、市民の関心の高さを伝えた。鳥井会長は「Jクラブは必ず浜松を、市民を元気にする存在になる」と声に力を込める。

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