​【青土社の「ユリイカ6月臨時増刊号 総特集中上健次」】宇佐見りんさん(沼津市生まれ)の寄稿にみなぎる、小説家としての血肉を蓄える覚悟

静岡県のアートやカルチャーに関するコラム。今回は2026年5月15日発行(奥付)の「ユリイカ」6月臨時増刊号(青土社)を題材に。生誕80年の作家中上健次(1946~1992年)をさまざまな角度から論じる380ページ超。大阪大大学院人文学研究科の渡邊英理教授(元静岡大人文社会学部准教授)と大妻女子大学文学部の内藤千珠子教授による巻頭対談「中上健次を更新する-ジェンダーとフェミニズムから問うそのアクチュアリティ」など。
(文=論説委員・橋爪充、写真=写真部・久保田竜平)

通っている書店に「ユリイカ」のバックナンバーを集めたコーナーがあり、そこで表紙に「中上健次」と大書されている本を見つけた。すぐにある人の名前が頭に浮かんだ。小さい文字で書かれた執筆者たちの先頭に、その人の名はあった。

宇佐見りん

真っ先に宇佐見さんの「先生に中上健次は解らない」を読み終えた。胸に湧き上がったのは、原稿を依頼した編集者への感謝だった。このところ筆を休めていた、この沼津市生まれの小説家に、よくぞ執筆依頼してくれた。原稿は、想像をはるかに上回る強さと、まっすぐさと、包容力を備えたもので、筆者は新聞社のオフィスでおえつした。恥ずかしかった。

宇佐見さんは大学を卒業後、中小企業に就職し、接客業に従事しているという。21歳で「推し、燃ゆ」が芥川賞に選ばれ、日本のみならず世界各国で読者を獲得した気鋭の作家が、なんでまた。ユリイカの原稿には、与えられた仕事でミスがあったこと、仕事に向き合う姿勢について先輩から叱られたことも隠さず書いている。大学卒業前、編集者には「会社勤めは向いていないから、作家専業にしては」といったことを伝えられたそうだ。

就職を選んだのは、「浮世離れの作家になりたくない」からという。行動の背後には、中上の言葉や彼の作品世界で「よし」とされた価値観があるのだろう。

ずっと公言してきた中上への憧憬は、単なる追慕ではないことがはっきり分かる。宇佐見さんは「中上のように生きる」というものすごい選択をしたのだ。「自分の、浮世離れした部分を徹底的に知り、たたき直したい」。そうでなければいずれ作家として「立ちゆかなくなる」。

何者でもない存在として、社会の片隅に身を潜める。決まった時間に起き、ヘトヘトになって眠る日々を送る。作家としての仕事はいろいろ断ったそうだ。

宇佐見さんは今、中上の人生を自分なりに追体験し、自身の命がついえる瞬間まで小説に向き合うための血肉を蓄えているのではないか。後半にこんな記述がある。

 けれど、それでもやっぱり、「先生」にはわからない、とか、誰誰にはわからない、と思わせてしまうのが、傑作である。そうして自分ひとりのものだと抱きしめて声をあげて泣き出したくなるようななにかが、中上健次の作品にはある。

目指すところがきっぱり書かれている。ああ、やはりこの人は本物だ。

静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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