(文と写真=論説委員・橋爪充)

澤田さんといえば松である。2015年のモンミュゼ沼津(沼津市)、2020年の静岡市三保松原文化創造センター「みほしるべ」(同市清水区)での個展をはじめ、何度となく言葉を交わす機会があったが、松への興味関心、強い言葉を使うなら「執着」が衰えないことに、その都度驚かされたものだ。
アーティストにとって、こうしたモチーフに出合えることは「幸運」といって差し支えない。澤田さんはかれこれ40年以上も松と対話を続け、インスピレーションを得続け、作品化し続けている。これだけの持続力は「表現者の執着」だけではなしえない。もしかすると、松の側からも、澤田祐一というアーティストを必要とする吸引力のようなものが出ているのではないか。
勤務先が松林の近隣だったことを「運命」と呼ぶのは簡単だが、それだけではないような気がする。澤田さんと松の関係を思い浮かべると、「互いに引き合う何か」が感じられる。アーティスト側の創意工夫だけでなく、「松からの要請」も確かにあるように思う。

ほぼ時系列で並んだ今回の作品展を見ると、そうした考えがより強化される。約40点のほとんどがコラグラフだが、松をモチーフにし始めた1985年ごろは松ぼっくりの造形の妙に強い関心があることがうかがえる。
1990年代はだんだん「形」が崩れていく。松ぼっくりの鱗片の「連続性」「整然」を抽象化したような作品もある。2000年前後からは、再び見てそれと分かる形の松ぼっくりが現れる。何やら能動的な動きを感じる時期を経て、空白にぽつんと置くようになる。松ぼっくりそれ自体に、「意志」を託しているように見える。
2011年の東日本大震災を経て、楕円が登場する。陸前高田市の「奇跡の一本松」に感動した澤田さんは、松ぼっくりに「空間を超えて何かを伝え合う主体」というイメージを重ねたようだ。松ぼっくりの間に置かれた楕円は、空間的、時間的な距離の象徴だろうか。
近作では、その楕円が鎖状に連結して別の形を作り始めている。高度な情報化社会の中で、世界の各地、各国が結びつく様を想像する。2025年の作品は無数の楕円がさまざまな色を得て、奔流をなしている。その中にポツポツと見え隠れする松ぼっくり。まさに、時代の流れに乗ることしかできないでいる私たちの姿そのものではないか。
会場の作品のほとんどは松を描いている。ただ、澤田さんの視線はどんどん変化している。松というシンプルなモチーフの「どこ」にアーティストの関心があるのか。変遷が分かりやすく提示されている。
<DATA>
■フェルケール博物館「松にきく 澤田祐一展」
住所:静岡市清水区港町2-8-11
開館:午前9時半~午後4時半(月曜休館)
入館料:大人400円、中高生300円、小学生200円
会期:6月28日(日)まで








































































