
第1詩集「至高の妄想」(2019年)が第1回大岡信賞、第2詩集「濃厚な虹を跨ぐ」(2023年)が萩原朔太郎賞ノミネート。結成47周年のヒカシューのリーダーとしてだけでなく、詩人として着実にキャリアを重ねている巻上さんの第3詩集は、過去2作とはかなり雰囲気が違う。
全く異なる話をするが、先日巻上さんについての別の原稿をまとめる際、「熱海市の巻上公一さんがリーダーの5人組バンド『ヒカシュー』」と書いてしまった。推敲中に「あっ」と声が出た。ヒカシューは今秋から6人組になったのだった。
幸い活字になる前に赤字修正したが、長く新聞記者をやっていると、こうしたことは起こりうる。私の場合、何度も原稿で使ったフレーズ「5人組バンド『ヒカシュー』」を、半ば自動筆記のように使ってしまっていた。自分が一番得意としているつもりの事象、対象こそ、注意しなくてはいけない。この場合にふさわしいかどうか分からないが、「男子、三日会わざれば刮目して見よ」だ。
ということで、巻上さんの新刊についても同じことが言える。過去2作と同様に、ヒカシューの既発表曲を「詩」として再定義するのかと思いきや、歌詞だったものは全42編の半分ほど。思い込みは見事に裏切られた。
2012年に長野・茅野市民館で公演した「超微妙コエタギル」の〝戯曲〟、2024年にドイツ文化センターで行われたカフカ没後百年イベントで披露した「カフカ違式」などもあるが、今作に通底するのは「なき者へのまなざし」である。
詩集の紹介としては本末転倒だが、「あとがき」が素晴らしい。2024年6月に亡くなった白石かずこさんの創作の軌跡を、巻上さんが脳みその中で再現している。これ自体「詩」ではないか。
2023年5月に死去したイリヤ&エミリア・カバコフのイリヤ・カバコフさんへのオマージュは、詩集の柱の一つになっている。新潟の「大地の芸術祭」ライブでのカバコフ賛歌、それを収録したCDは個人的にさんざん聴いたが、こうして文字として刻まれたものを目にすると、巻上さんのイリヤさんへの憧れがよりダイレクトに伝わってくる。
そして、2024年11月に逝った谷川俊太郎さんへの追悼詩である。「ずっとあこがれの人なのに/ずっと近くにいる人だった」で始まる。何だろう、この率直さは。巻上さんのこれまで見せなかった顔を垣間見た気がする。
巻上さんの詩は、例え「歌」を前提にしていなくても、旋律が湧いてくる。「濃厚な虹を跨ぐ」の評に「言葉一つ、音節一つがイメージを伸び縮みさせる」と書いたが、今回も変わらない。これは芸能であり、芸術である。
(は)




































































