
藤枝MYFC時代の久保(右、2023年7月)と、藤枝の須藤監督
2021〜23年7月まで藤枝MYFCでプレーしたMF久保藤次郎選手(柏レイソル)が東アジアE-1選手権(韓国)で日本代表デビューを果たしました。
愛知県出身の久保選手は帝京大可児高、中京大を経て、当時J3だった藤枝でプロキャリアのスタートを切りました。J3から一気に日本代表へと駆け上がったサイドアタッカーは当時、どんな選手だったか。藤枝の須藤大輔監督に話を聞きました。
須藤監督「夢を与えてくれる」
藤枝MYFC時代の久保(右、2023年7月)
―藤枝出身の久保藤次郎選手が代表入りしました。
めちゃくちゃうれしいです。あのような選手がどんどん藤枝からも出てきてほしい。若い選手、名もない選手、アンダーカテゴリーにも入ったことのない選手にも夢を与えている。
彼はずっとやり続けているから。どこかで諦めてしまう選手は言い訳をするけれど、彼はどんな時もやり続けている。名古屋であまり出られなくても、鳥栖に行ってなかなか結果が出なくても、見ている人は見ている。そして絶対にマッチする人に会うわけですから。
―柏は今首位で、その主力として活躍しています。
彼だって最初からレギュラーではなかった。そこでつかみ取った。だからここ(藤枝)にいる選手も自分の武器を大切にしてほしい。他人事ではないと思います。
―当時彼によく言った言葉は。
彼はここにいる時はメンタルが弱かった。ちょっとミスを怖がったり、関わるのが苦手で消極的だったりした。でも「そうじゃないでしょ」と。お前の運動量は、もう行って、行った分だけかえってくると。何本もシュート打つ、何本もクロス上げるということをやっていきました。
運動量は最初からあったのですが、関わることが下手だったり1対1が抜けなかったりという時があった。でもそういう時こそ動いてワンツーでもいいじゃん、アーリーでもいいから入れちゃえ、逆サイドで持ったら全部ペナルティーエリアに入っていけと言いました。それで点を取ると、どんどん伸びました。
最初は縦突破だけで、それが読まれてきてまた少しへこんだ。「じゃあ入って左足で打てばいいじゃん」と言ったらそれも攻略する。
本当に壁ばかりでした。内気だったから言葉に出すのが下手だったけれど、ただやはりプレーで引っ張るタイプ。どんどん自信になって、あそこまでいきました。
―できるのに仕掛けなかった?
できるから行くのだけれど、それしかないから引っかかる。読まれていても行くから引っかかる。その時はもう走れ、上下動しろと。誰もついてこられないからと言いました。
―背中を押す言葉が多かった。
そう。本当に多かったです。彼は真面目にやるから。
―チームを離れる時、今の状況まで行くと思っていましたか?
思っていました。名古屋でも活躍して、そのまま代表まで行くと思っていました。ただサッカーが合わなかった。守備のウイークがあり、一発背後を取られてしまうこともあった。でも柏でリカルド監督はストロングポイントを見ている。いろんな経験を踏んで今の彼がいます。
―藤枝の選手にも励みになる。
ならなきゃおかしいです。だからやらないと。