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サッカー元日本代表FW山田隆裕さんが語った“清水商業の黄金時代” ペナルティ・ヒデと戦った1988年度の国立決戦

SBSラジオの静岡サッカー熱血応援番組「ヒデとキトーのFooTALK!」に、清水商業高校(現清水桜が丘高校)出身、元サッカー日本代表の山田隆裕さんをお招きしました。聞き手はパーソナリティのペナルティ・ヒデさんと鬼頭里枝さん。

鬼頭:山田隆裕さんのキャリアを紹介します。1972年生まれ。小学校6年時に清水FCのメンバーとして全日本少年サッカー大会ベスト8。中学時代は東海選抜で全国制覇。清水商業高校(現清水桜が丘高校)では、全国高校サッカー選手権の市立船橋との決勝で決勝ゴールを決めて優勝に貢献しました。高校総体や全日本ユースなど計6度の日本一を達成しています。

ヒデ:すごいよね、金字塔です。

鬼頭:高校卒業後は日産自動車サッカー部に入部し、Jリーグ開幕時は横浜マリノスで活躍。京都、川崎、仙台を経て、2003年、31歳で現役引退しました。

山田さんとヒデさんは学年が違うんですよね。

ヒデ:私は1つ上。市立船橋(千葉県)のライバル校だったし、お話したことがほぼない。ただ、山田君はスーパースターだったし、僕らの夏冬の連覇を阻止した人間ですから、忘れもしない“憎き山田”ですよ。

山田君は静岡で生まれて、静岡でサッカーを始めたんですか。

山田:生まれは大阪です。ただ記憶にないときに清水に越してきているので、「サッカーをやりたくて静岡に来た」とかではなかったんです。

ヒデ:どうやってサッカーと出合ったんですか。

山田:この町に来たら、きっかけなんかいらないじゃないですか。サッカーをやっていない子を探す方が難しい町ですから。

ヒデ:「やれるな」って思ったのはどれぐらいの時?。

山田:清水FCって小学校6年生の全国大会のために、3年生から準備してたんですよね。60~70人集めて、そこから1学年上がるごとに15人ぐらいずつ削られていく。最後に10人近くが残るんですが、そこに最後まで残れたあたりから意識し始めましたね。

鬼頭:清水商業高時代は同級生もすごかったですよね。

山田:皆で口裏合わせて清商に行こうって言ったわけじゃなくて、偶然なんですよね。

恩師大滝雅良監督の千里眼

ヒデ:リスナーから。「ずっとファンです。清水商業はほかにも名波浩選手、大岩剛選手など、超豪華メンバーでした」と。とにかくすごい人たちが集まって、そこで1年生でレギュラーを取ったのが山田君。この代がそのままJリーガーになったんだから忘れもしません。

鬼頭:ヒデさんが全国高校選手権の決勝で清商に負けちゃった時、何年生でしたか。

ヒデ:僕は2年で、山田君が1年。僕は決勝の同じピッチで山田君のヘディングを見ていて、飛んだ瞬間に「やられた」って思った。1-0で清商に負けました。

山田:僕が高校3年間で、唯一決めたヘディングシュートがあれです。監督だった大滝先生からいつも「お前はヘディングが下手くそだ」って言われていたんですけど、こういった偶然ってあるんですよね。

全国高校サッカー選手権決勝でプレーする山田さん(左)。相手はライバル市立船橋=1989年1月、国立競技場


ヒデ:清水商業は市船対策みたいなのがあったんですよね。

山田:市船が夏のインターハイで優勝した時に、僕らは県予選で負けてインターハイに出られなかった。夏休み期間中に、ある日突然監督にお金を渡されて「今から神戸に行ってインハイ決勝を見て来い」って言われたんですよ。

僕はただ「練習をサボれる」と思って、ジャージに坊主頭で新幹線に乗って、1人で神戸の会場まで行きました。決勝は市船の大勝で、僕はショックを受けました。

「こんなところに勝てるわけない。100回やっても勝てないな」って、僕はショックだけを持って静岡に帰ったんですよ。

ヒデ:1年生の1人の選手にお金を渡して、監督はどういう狙いだったんでしょうね。

山田:どういうつもりだったのかいまだに分からないです。ただ結局そのまま選手権に出て、決勝で市船と対戦して、偶然僕が点を入れてという結果につながったんです。

鬼頭:大滝先生の千里眼、すごいですね。

高校時代に彼女はいたの?

鬼頭:リスナーから。「山田さんってあの山田さんですよね。高校サッカーで流星の如く、女子中高生を魅了した、あの山田さんで間違いないでしょうか」

山田:そんなこと言われたことないですけどね(笑)。

ヒデ:山田君はひょうひょうとしているイメージがあるんだよね。黄色い声援も聞こえていたんだろうけどもね。

山田:いや、監督がそういうの嫌いな方だったので。

鬼頭:高校3年間、彼女はいなかったんですか。

山田:いるわけないじゃないですか。サッカー一筋なので。

ヒデ:いや、いたでしょ。脇田(ワッキー)だっていたんだから。

鬼頭:それは失礼だよ(笑)。

日本代表を辞退した理由

ヒデ:リスナーから。「日本代表に初めて招集された時、一番自分の中で得られたものは?」。聞くところによると「代表よりもチームの方がいい」みたいな人だったんでしょ?

山田:19歳で初めて代表に呼ばれた時、メンバーが濃かったんですよね。ドーハの悲劇のメンバーですから。「何のために呼ばれているのかな」と思いました。雑用係のような扱いで試合に出られない。コンディションが悪くなってチームに帰ってくるので、チームでも試合に出られない。

当時のマリノスの契約で言うと、「代表に行ったことなんて関係ない」と。要は自分のチームでどれぐらいやってくれたのかってことを言われちゃう。だから代表に呼ばれたってことが査定に入っていない。「じゃあ、僕が行く意味ないですよね」って。

「今は代表に呼ばれるよりもたくさん試合に出て経験したい」ということも踏まえて、代表を辞退しました。それが「生意気だ」みたいなことになって、言葉だけがひとり歩きしてしまいました。

ヒデ:当時のご自身を俯瞰(ふかん)で見ると、どんな選手でしたか。

山田:高校からの勢いそのままにやっていたような記憶があります。だから僕は高校時代ですべての運を使い果たしちゃったなっていう感じです。

ヒデ:期待値は同世代の中で1番あったでしょうね。

山田:ただ僕のポジションやプレースタイルで言うと、短命だなっていうのは感じていました。だから同級生がどんどん活躍していく姿を見ても、焦りや嫉妬はなくて冷静に見ていました。

引退後はメロンパン屋に

鬼頭:後半はセカンドキャリアについて聞かせてもらいます。現役引退した後、メロンパン屋はどういう経緯で始めたんですか。

山田:僕、実は甘いものが嫌いなんですが、大阪の友達がたまたま車両販売でやっていたんです。引退する頃に「これからどうするんだ。大阪に見に来い」って。

行ってみたらメロンパンの香りが1.5キロ先まで届くらしく、あっちこっちから人が集まってきて、1日1,000個ぐらい売れると。

やりたくてやったわけじゃなくて、話に乗っかっちゃっただけ。僕は仙台で引退したので、仙台のローカル番組も宣伝に協力してくれました。

鬼頭:そこからずっと事業はうまくいったんですか。

山田:同業他社も増えてきて、2、3年で終わりました。

「子どものモチベーションを知って」

ヒデ:メロンパンの次は?

山田:その後は「夢先生」をやりました。

鬼頭:日本ウェルネススポーツ大学という場所でサッカー部の指導もされていますね。

講演会ではどんな話をしているんですか。

講演する山田さん=2004年6月、静岡市内


山田:保護者の方に向けて「何が子どものモチベーションなのか分かっていることがすごく大事」という話をします。

うちの子は何がモチベーションでサッカーをやっているのか、そこを分かってやらせている親と、全く分からずにただ通わせている親とでは全然違う。

マルチナ・ヒンギスというテニス選手は「大会で優勝した時に何が一番嬉しかったか」と聞かれ、「お母さんが焼いてくれるパンケーキを食べることがモチベーションだった」って言っているんですね。

トロフィーでも賞金でも名誉でも何でもない、お母さんのパンケーキがモチベーションだった。僕はそういうことが大事だと思っています。

静岡県のサッカー界に必要なのは大滝イズム

鬼頭:静岡県内のJリーグクラブをどんなふうに見ていますか。

山田:ちょっと寂しいですね。高校サッカーも、タイトルを取っているのって女子のサッカーだけですもんね。サッカー王国をもう一度取り戻してもらいたいなと思います。

ヒデ:何が不足していると思いますか。

清水商業高の当時監督だった大滝雅良氏(中央右)が選手に語り掛ける=1989年1月、国立競技場


山田:清商の大滝先生ですね。

ヒデ:ツッコミずらいな(笑)。そのイズムってことね。当時の高校サッカーを経験した我々には、なにくそ根性というか、「勝った者が強いんじゃ」ってところはあるかもね。

山田:もうそれしかなかったですからね。

ヒデ:そこがやっぱりベースに無いと…。

恩師がつぶやいた「なんで負けたんだろうな」

鬼頭:リスナーから「最強清商の絶対エース、やっぱりかっこよかった」と来ています。あの時の清商はどうでしたか。

山田:大滝先生は僕が2年生で藤田俊哉さんが3年生の時のチームが最強だったって言っていましたね。

ヒデ:バランスが良かったんですね。

山田:あの時は県予選で負けたんですけど、全国優勝できる可能性が80パーセントあったと。

そこで負けた後に行われた冬のマラソン大会。僕は骨折していて走れなかったんですが、大滝先生は生徒と一緒に走っていた。

あと100メートルでゴールっていう時に大滝先生は僕を呼んで「なんで負けたんだろうな」って言ったんですよ。僕も答えられないじゃないですか。「なんで負けたんだろうな」って、自分を戒めるために走っているような感じでした。何も言葉を返せなかったです。

だから僕が2年の時に県予選で負けたことは、おそらく一生忘れない。

ヒデ:今日はめちゃくちゃうれしかった。市船の近くにはいつも清商がいた。尽きないな、昔の話は。

鬼頭:最後にメッセージを。

山田:静岡を想う気持ちは昔と変わらず持っています。この静岡がもう1段、2段、盛り上がっていけるように応援していきますので、皆さんも温かく応援してあげてください。
シズサカ シズサカ

サッカー大好き芸人、ペナルティ・ヒデと、サッカー中継のリポーターとしても活躍する鬼頭里枝の2人がお送りする番組。Jリーグから海外サッカー、ユース世代、障がい者サッカーなど幅広くスポットを当て、サッカーを通して静岡を盛り上げます。目指すは「サッカー王国静岡の復権」です!

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