​麻機に伝わる昔話、麻機に残る不思議な石

すろーかる

麻機の伝説『沼の婆さん』

諏訪神社のお祭りで用いられる『沼のばあさんの像』。普段は南沼上の大安寺に安置されている。(大安寺:葵区南沼上3-18-7)
 

4、500年前まで一面が沼だったという麻機には、古より語り継がれる、『沼のばあさん』という伝説がある。

「今から六百年ほど前、足利直義と新田義貞の手越原の合戦の時、義貞の軍に加わったあさはたの岩崎蔵人国隆の軍は目覚しい活躍をして直義の軍を打ち破ります。その戦勝祝いの時、脇屋義助は国隆の親類の娘・小菊を見染め、やがて二人の間に小葭(こよし)という色白の愛らしい女の子が生まれました。ところが小菊はお産の後が思わしくなく、間もなく亡くなり、おばあさんと小葭の二人きりになってしまいました。小葭が十六、おばあさんが六十を迎えた観応二年の夏、体をこわしたおばあさんの身を案じた小葭は浅間神社にお参りの途中、沼の中にさらわれてしまいます。話を知ったおばあさんは、弱った体を顧みず、憎い魔物を退治しようと沼の中に身を投げてしまいました。後におばあさんは大蛇に姿を変え魔物を退治したといわれています。(『あさはた誌』沼のばあさんより抜粋)」

この時の沼の魔物は河童であり、おばあさんは大蛇ではなく竜になったという説もある。
また、おばあさんは飛び込む前に「憎き河童を退治して沼の守り神となろう。そして村人千人分の食べ物をこの沼より恵まん。」と念仏を唱えたとされ、その翌年から不思議な霊草が生え、これが麻機に生息する『オニバス』であり、飢饉のときに食料となって村人の命を救ったという話だ。

麻機には今でも沼のばあさんの生家があるほか、大蛇になったおばあさんは沼の神として沼の畔にある諏訪神社に祀られ、7年に一度お祭りも開催されている。

さらにこの伝説は麻機にとどまらず、駿河区大谷でも伝えられ、成仏できずにいた沼のばあさんを大正寺の高僧が救ったとして、大蛇になった時に落ちたウロコが今もお寺に大切に残されているそうだ。
 

『鈴石』

1.鈴石 2.石を割り出す際に付く、セリ矢を打ち込んだ跡が見られる。3.鈴石の隣にある『石切り場』
 

竜爪山をはじめとする雄大な山々に囲まれた麻機の地は、江戸時代の駿府城築城の際に採石場として活躍した歴史がある。麻機の東側の山には今も石切り場であったことが分かる採石の跡が残され、このあたりは地元で〝石神〟という字で呼ばれているという。

石切り場の跡地のすぐ横には、『鈴石』と呼ばれる巨石があり、高さ6m・幅4mにも及ぶ大きさで、この地に伝わる七所天神の一つとされる。
石のちょうど真ん中あたりに人の顔一つ分くらいの穴があり、そこにお賽銭を入れると、七日七夜、鈴の音が響いていたことから〝鈴石天神〟と呼ばれるようになったそうだ。この天神様は東の日賀見神社に合祀されている。

『肥付き石』

肥付き石
 

特別養護老人ホーム麻機園の近くの延命地蔵の横には、少し怖い逸話が残る石がある。この『肥付き石』は〝舟繋ぎ石〟とも呼ばれ、昔この辺りが沼であった頃、肥を舟で運ぶ際に舟を繋ぎとめ、陸上げ作業を行うときに使われていた事が由縁とされる。

地元の方によれば、「この石は恐ろしい毒石で、罪多き人が触ると足が腫れ上がる不思議な病気にかかり、治す方法はただ一つ、針金で鳥居を作り、ここに供えるのだ。」という言い伝えだ。

一見丸みを帯びたただの石に見えるが、罪人である意識があれば、むやみに触るのは控えておくのが良さそうだ。


[ 取材協力 ]麻機村塾

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静岡と静岡に住む人を結ぶフリーマガジンです。タイトルは、「すろーらいふ」「ローカル」「カルチャー」の3つを組み合わせた造語。地元静岡を舞台に、文化を掘り起こし、すろーらいふ=その人らしく充実した愉しい生活のヒントを発信しています。特に『地域クローズアップ』では、お店や企業の情報に加え、その地域ならではの話題を独自取材。ぜひご注目を。

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