扇谷家に生まれた女性は、それぞれが特殊な能力を持っている。千里眼、過去視、予知、言葉なき者の言葉を聞く力-。各編は時系列で並んでいないが、読み手が混乱することはない。読者は作家の手のひらの上で、存分に物語に浸ることができる。エンターテインメントのきらめきと共に、小説の作法の自由さが感じ取れる。個人的には、桜庭一樹さんの「赤朽葉家の伝説」が好きな方に強く薦めたい。きっと好きになる。
実石さんはこの多面的な小説をどうやって書いたのだろうか。本を片手に根掘り葉掘り聞いた。
(聞き手=論説委員・橋爪充、撮影=写真部・坂本豊〈人物〉、久保田竜平〈本〉)

「家じまい」を若者の視点で
-主な登場人物が18人もいますね。実石:そんなにいたんですね。
-約90年の時間の流れがある大河ドラマであり、さまざまな組み合わせの群像劇であり、家族小説でもある。創作のスタート地点はどこですか。
実石:多分、家族小説だと思います。デビュー前の2019年に、日本ファンタジーノベル大賞(新潮社)に応募した小説があって。超能力が女性にだけ遺伝する家族の話だったんです。作品は最終選考で落選してしまったんですが、気に入っていたモチーフだったので、いつかリベンジしたいなと思っていました。
-端緒は分かりました。ただ、その時の応募作そのままではないようですね。新しい要素を加えるという作業があったのですね。
実石:何がいいかな、何がいいかなと思って「よっしゃ、家じまい」と。家族と言ってもいろんな人がいる。それぞれに喋らせたら楽しいなと思ったら群像劇になっていました。
-さまざまな時代に物語を散らしたのはどうしてですか。
実石:最初のプロットは2025年度の話だったんです。4月から3 月まで。でも、登場人物それぞれが語りたい時代がそれぞれ違うなと思って。読んでもらったら分かると思うのですが、12編全て、それぞれが若者だった頃の話なんですよ。おばあさま、おじいさまの話も彼らがまだ子供だったり、10代の若者だったりの頃。各編の主人公はみんな若者なんです。
-「若者」に語らせようと思ったのはなぜですか。
実石:若者は「家」に支配される側面がありますよね。お父さんやお母さんの言うことを聞かなきゃいけない、とか。若者目線で考えれば「何言ってんだ」みたいな場合もあるじゃないですか。「家」という組織の中ではマジョリティーにはなれない。だから「家」に翻弄される立場の人を書く、となったら若者だと思ったんです。
-一番古いエピソードが1938年で、一番新しいのが、現在から見ると未来に当たる2026年。あえて時系列を崩して各編を並べていますね。
実石:「昔から順番に」とか「現在から順番に」というのも考えたんですが「全部別々の順番で別々の時代だ」となって。変則大河小説のような形になりました。
-全12話の語り手は一部の人物に限られていますね。誰に語らせようか、といった語り手の選定はどんな意図があったんですか。
実石:まず、女性っていうのは絶対的な条件です。(巻頭に掲げた)家計図を見てもらうと分かりますが、扇谷家の血を引く女性はみんな話してるんですよ。
-なるほど。そうですね。
実石:(最高齢の)時子、(時子の娘世代の)恵美子、(孫世代の)美雲、(ひ孫世代の)立夏、全員語り手になっている。唯一、まだちびっこの彩奈だけ話していません。ただ、私の中では、この彩奈は過去視の能力を持っている(という設定)。この小説自体が彩奈が何かの拍子に見るかもしれない過去の羅列なんです。

特殊な能力を持つ女性たち
-各編それぞれがユニット的に分けられた家族の話。時系列で並んでいないことも含め、かなり精緻にプロットを組み立てなくてはならなかったのでは。実石:そんなに精緻でもないですよ。ただ、(編集)担当さんから「読者が読みにくいんじゃないか」といったご指摘がありました。電話で1時間ぐらいかけて説得したら「ビジョンがあるんだったらやってみましょうか」と言ってくださって。
-先ほどの質問と重なりますが、各編を時系列で並べるという選択肢は最初からなかったんですか。
実石:ほとんど頭になかったですね 。小説って、情報開示の順番が大事だと思うんです。過去の情報が先に出てから未来を知った方がいいエピソードもあるし、未来のエピソードで「なんでこうなってるんだろう」という興味を持たせてから過去を説明した方がいい場合もある。
-「扇谷家―」で言えば、どの部分でしょうか。
実石:千晶と美雲のシスターフッドチームが、どうして二人で娘を育てているのか。読む人は最初、二人はレズビアンだと思うのではないでしょうか。真実は後で明かされた方が絶対面白いと思って。
-さまざまなユニット(家族)があって、特殊な能力を持つ女性がいっぱい出てきますね。能力の中身については、実石さんの豊富な読書体験で培ったものがうわっと出ているように感じました。例えばヨーロッパの魔女伝説とか、シャーマンとか、日本の巫女さんとか。物語を貪欲に摂取した経過が、作品のモチーフとして現れているような気がします。
実石:私は女性なので、物語を書く時には女性に肩入れしたいんです。男の人を中心に家族の話を書いたら「俺たちの挑戦」みたいな感じになりかねない。それを成立させないためには女の人にパワーがあった方がいい。
-社会にうっすら残る「家」制度や、相変わらず男性優位な社会に対して力を持つ存在として描きたかったと。
実石:そうなんですよ。私の世代(20代)って、昭和的な家庭も知っているし、そこから変わろうとしていく平成の家庭も知っているし、これから令和の社会も知っていく世代じゃないですか。ものすごい変化を見ている世代だと思います。だからこの小説を10年後ぐらいに読み返してくれて、「昭和の名残り感じるよね」「(家族の考え方が)変わっていった時期があったよね」といった気持ちになってくれたらいい。
-各編の中で、例えばiPhoneや漫画「NANA」のように、その時代を象徴するガジェットやコンテンツをさり気なく登場させています。
実石:同じ時代を生きている読者さんと共有したいっていうのがあって。私は基本的に流行り物好きなんです。その時代に流行ったもののパワーってあるじゃないですか。私、AKB と嵐の世代で、青春はその 二つなんですよ。 でも情報がどんどん分散される時代になったので、ああした形で一世を風靡するエネルギーはなかなか生まれないんじゃないかなって。
-確かに時代を象徴する共通言語として使えるアイテムは少なくなっているかもしれませんね。
実石:実は「NANA」の世代ではないんですが、私より年上の女の人にとって「NANA」の存在は大きいということは知っている。中島美嘉さんが紅白(歌合戦)に出た時は小学生だったんですが、めっちゃかっこ良かった。
-みんな知っている、とかみんな持っているという存在ですね。
実石:爆発的にはやって、女子高生がみんな持ってるものって、今は iPhone だけじゃないですか。ちょっと前は女子高生は携帯にみんなストラップつけていて、私はギリギリその温度感を知っている。

書いたものは娯楽として消費してほしい
-デビュー作「君が忘れた世界のおわり」、次の「物語を継ぐ者は」はファンタジー要素多めの作品でした。3作目の「17歳のサリーダ」はあえてそれを薄めていた。ところが今作は過去の2作以上に超現実的なことを起こさせている。この振り幅についてはどう認識していますか。実石:もともと物語だったら現実より派手で面白いことが起こってほしい、というタイプなんですよ。(過去2作では)死んだ女の子の幻覚がアップデートされたり、主人公が物語の中に飛んじゃったり。
-「17歳のサリーダ」はそんな場面がないですよね。
実石:あの作品は現実的にシビアなことを書くのでファンタジーが入る余地がなかったんです。現実を書くという目的があるならファンタジーはない方がいい。
-「扇谷家-」の「家族」というキーワードは抽象的な部分があります。
実石:「家族」とか「人生」ってやっぱり抽象的だから(ファンタジーを)入れやすい、入れたくなっちゃうというのもあります。
-入り込む余地がある。
実石:そうですね。ファンタジーが入り込む余地はあるけれど、ただそれを語るだけだと「演歌」になってしまう。わたし演歌好きなんですけれど、やりたいのは演歌ではない。妙に説教臭くなりたくないですし。書いたものを娯楽として消費してほしいんです。すごく抽象的な テーマを娯楽として消費していただくためには、飛び道具があった方がいい。
-「だからファンタジーを入れちゃえ」と。いいと思いますよ。作家としてのアイデンティティーを強く感じます。アイデンティティーと言えば、この小説は冒頭作品の1行目がいきなりパンチラインですね。「いくらおばあさまだって、人を殺して庭に埋めたりしない。」
実石:思いつきなんですよ。
-そうなんですか。なかなか強力ですけど。
実石:練りすぎると演歌になってしまうので。
-ある編の締めくくりの1行も強力です。「これを愛と呼ばないのなら、この世界に愛なんて、たったひとつも存在しない。」
実石:やっぱり、勢いで書かないと自分が照れてしまう。

「死んで終わるか」って言ったらそうじゃない
-この小説では、家族の象徴としての屋敷が、自分たちのものではなくなるというのが着地点です。永遠に見えるものも実は永遠じゃない。でも一方で途切れたと思っていたものが実は途切れていない、という物語でもある。それが家族の繋がりの宿命的なところで、登場人物たちがいろんな局面で気付く、という話になっていますね。実石:(ロックバンド)King Gnuの「白日」に「真っ新に生まれ変わって/人生一から始めようが/へばりついて離れない/地続きの今を歩いているんだ」っていう歌詞があります。真理だと思うんですよ。
-どのあたりが。
実石:自分で「生まれ変わった」と思っていても、本当は死ななきゃ生まれ変われない。でも死んだら終わり。ただ、死んで終わるかって言ったら、本当にそうなのかって。終わりの定義って何だろう、という歌ですよね。
-終わらない話ですね。
実石:終わらないんですよ。地球が破滅しても地球以外の惑星がある限り宇宙は続くじゃないですか。人間は終わるかもしんないけど、次の生命、生物が生きてるはず。そうなると、もういくらでも続いていくし、いくらでも終わり続けていく。
-「家」も同じかもしれないと。
実石:現実にはだんだん廃れていくと思うんです。(建物が)どんどん古くなって入れなくなるとか、出生率がめっちゃ低いとか。私たちは今、過渡期にいるんじゃないでしょうか。だから「終わる、始まる、続く」はテーマとしてありました。
-若い世代がいて、年を取ったらその次の世代が生まれて、またその次の世代が生まれて。その中でも屋敷と桜の木だけが変わらないものとして置かれている。その対比が見事ですね。
実石:ありがとうございます。「家」ってアイドルグループに例えられると思うんですよ。「モーニング娘。」という名前はあるけれど、メンバーはどんどん変わっていく。そういうのって面白いですよね。静岡県も日本、地球もそう。枠組みは同じでも、そこに住む人はどんどん変わっていく。人間の耐久時間が80年とか100年だとしたら、家族という仕組みはもう少し大きくて、「家」という箱はもう少し長いんでしょう。
-デビューして4作目ですが執筆する上で心がけていることはありますか。
実石:なるべく簡潔に書こうと意識しています。小学校4、5年生ぐらいで新聞の1面記事を読みくだせるぐらいの子が読み通せる言葉で書いています。
-想定読者像はそのぐらいの年代なんですね。
実石:常に 「13歳の自分がこの単行本を買うか」と問いかけをしています。13歳の中学生でお小遣いが3000円の私が千数百円かけてこの本を買いますか、ということです。そのぐらいの年代の子が読めるっていうことはお年寄りも読めるっていうことだから。
-6月には文庫書き下ろし「踊れ、かっぽれ」(祥伝社)が出ました。
実石:清水みなと祭りが題材なんですよ。長編読み切りです。祭りでだれよりも格好よく「かっぽれ」を踊ろうという部が発足する話。高校生たちが格好いいかっぽれを目指して夏を駆け抜ける小説です。
-群像劇ですね。
実石:9月にも新刊が出ます。ルッキズムの話。割と重めですが、テンションは高いです。