
5月の「扇谷家の不思議な家じまい」(双葉社)、6月の「踊れ、かっぽれ」(祥伝社文庫)に続き、今年3冊目の単著は、作者が得意な「学校教室のめんどくさいヒエラルキー」を縦軸にし、横串として「ルッキズム」をズブリと刺している。あらゆる人の価値観を揺さぶる一冊だ。
人の美醜というセンシティブで、正誤の判定がしにくいテーマをあえて選んだ実石さんは勇気があると思う。一方で、小説それ自体は重いテーマに足を取られることなく、徹頭徹尾エンターテインメントである。時に暴走を伴う青春期の一直線な衝動を描かせたら、今や日本で一番うまいかもしれない。
主人公は槙島朱里(まきしま・あかり)ダイアナ。県内トップレベルの進学校「イチコー」に通う高校生で、父は日本人、母は英国出身。通称は名字と名前、ミドルネームの頭文字を取ってMAD(マッド)。イカれた名前だが、本人と家族は気に入っている。
このマッドがとにかく美しい、というのが作品全体を貫く重要なモチーフなのだが、「どう美しいか」を読者に伝えるのは案外難しい。本作は語り手がそれぞれ異なる6編で構成されているのだが、別々の角度から違う人物にマッドの美しさを語らせている。
多少しつこいと思われてもいい、という作者の信念が感じられる。誰の目にも美しい人物であることが、この小説の土台なのである。そこが揺るぎないため、読み進めた時に物語としての強度にブレがない。
特別な容姿を持つ、屈託のない女子高校生。本作は、そんなキャラクターの「リア充物語」…ではもちろんない。実石さんのこれまでの作品を顧みれば、「最強美少女」であるがゆえの生きづらさこそがテーマになるだろうことは容易に想像できるはずだ。
語り手の異なる6編はそれぞれ違う味付けがしてあって、例えばそれは「シスターフッド」だったり、ちょっと陰惨な「いじめ話」だったり、SNSを介したコミュニケーションだったり、ニッチな趣味を愛する者同士の幸福な出会いだったり。マッドはある時は後景に引っ込み、ある時はどんと前景に出て来る。主人公の微妙に異なる立ち位置が、作品全体の陰陽を趣深いものにしている。
読みどころは多々あるが、高校の卒業式で、とある人物がアドリブの答辞を読む場面は圧巻だ。
「隣にいない人や過ぎ去った日々を思うことこそが、きっと本当の孤独なのです」「だからこそ孤独な者同士、寄り添いあえるのだと思います」
高校生活の充実を振り返りながらの言葉が、そのまま人生訓になっている。詩人大岡信さん(1931~2017年)は、著書「うたげと孤心」(1978年)で詩作の鍵は「社会との関わり」と「内面的な孤独や精神の独立性」の両立にあるとした。本作が説くビジョンはこれと大きく重なるのではないだろうか。
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