「僕らのヒーローだった」長嶋茂雄さんが静岡に残した足跡と記憶 大仁で山ごもり自主トレ 草薙で現役ラストゲーム 伊東で地獄のキャンプ

プロ野球・巨人で選手や監督として活躍した長嶋茂雄さんが6月3日、亡くなりました。89歳でした。「ミスター」として親しまれた球界のスーパースターは、静岡県内にも多くの足跡と記憶を残しました。

「号外です」。
3日午前の静岡駅。長嶋さんの訃報を伝える静岡新聞の号外が配られました。

<街の人>
「朝テレビでみてびっくりした。ヒーローだから。長嶋さんを応援してた」
「一つの時代が終わったな」

昭和のプロ野球界を引っ張ってきた正真正銘のスーパースター・長嶋茂雄さん。ここ、静岡とは、深い縁がありました。現役時代、毎年のように大仁町(現伊豆の国市)で「山ごもり」と呼ばれるトレーニングを行ってきました。当時、定宿としていたのが、大仁ホテルです。

<下田支局 柴田寛人記者>
「長嶋さんが現役時代に利用したホテルのロビーでは、訃報を受けて、メッセージ台が設けられました」

<メッセージより>
「野球を愛して長年お疲れ様でした」
「私も少年時代より応援していました」

<宿泊客>
「テレビを見て、巨人・大鵬・長嶋じゃないですか」
Q. 巨人・大鵬・卵焼きじゃない?
「長嶋ですね」

長嶋さんは「富士の間」と呼ばれる部屋に泊まり、連日、素振りを繰り返していました。

<大仁ホテル 佐々木義次管理支配人(2016年取材当時)>
「1球だけ打ち損ねて付けてしまった傷がある」

長嶋さんが残した“宝物”はいまでも残っているといいます。

<佐々木さん>
「非常に残念で言葉では言い尽くしがたい。生涯野球一筋、また巨人軍一筋で頑張ってこられた長嶋さんだけに、これからもずっと長嶋さんのことは応援していきたい」

2016年には、長嶋さんが40年ぶりに大仁を訪れ、「長嶋茂雄ロード」と名づけられた道などゆかりの場所をめぐりました。

<伊豆の国市 山下正行市長>
「伊豆の国市とゆかりのある偉大な選手だったと、偉大な人物。(1974年の)後楽園で行われた最後の試合を外野のスタンドから見ていた。その光景を今でも覚えている私にとってはヒーローで、大ファンだった」

<社会部 田島かのん記者>
「長嶋茂雄さんが現役最後にプレーをしたのがここ、草薙球場です」

1974年に行われた日米野球。長嶋さんは栄光の背番号3をつけて、草薙球場でプロ野球選手としての有終の美を飾りました。球場には、長嶋さんの雄姿を収めた写真が飾られています。

長嶋さんが巨人の監督となり、のちに「地獄のキャンプ」と語り継がれる猛練習を行ったのも静岡県内。伊東市でした。

<当時伊東市観光協会の職員水口進吾さん(84)>
「一番右、この方が長嶋茂雄さん、これが私です。もう髪も黒いし、若かった時代懐かしいですよ」

当時、観光協会の職員だった水口進吾さんは受け入れ対応や選手の送迎などを担当していました。

<水口さん>
「当時やっぱり大スター。こういう人が目の前にいるということがすごい大感激、大感動した」

あれから30年以上が過ぎ、猛練習が行われたグラウンドは姿を消し、今は病院となっています。長嶋さん死去のニュースに水口さんは胸にこみ上げる思いがあったといいます。

<水口さん>
「また一つ星が無くなったなという感じ。みんなの心の中に残ってるだろうから、安らかにお眠りくださいぐらいしか言えない。それ以上のことは言葉には出てこない」

「あしたを“ちょっと”幸せに ヒントはきょうのニュースから」をコンセプトに、静岡県内でその日起きた出来事を詳しく、わかりやすく、そして、丁寧にお伝えするニュース番組です。月〜金18:15OA

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