
静岡市清水区の清水文化会館マリナートで「清水東サッカーフォーラム」(清水東高サッカー部主催、同サッカー部OB会・後援会共催)が開催されました。清水エスパルスの反町康治GMや、元日本代表の内田篤人さんら同校OBが軽快なトークを繰り広げ、約400人の関係者が耳を傾けました。同校OGでフリーアナウンサーの小沼みのりさんがMCを務めました。
今回のフォーラムは、清水東高グラウンドの人工芝化に向けた動きの一環。サッカー部関係者が中心となったグラウンド整備事業委員会が名門復活を目指して計画をスタートさせたばかりで、サッカー部が支援の輪を広げてもらおうと企画しました。
現在の計画によると、防球ネットの設置などを含めて寄付金集めの目標金額を1億5千万円に設定。整備事業委員会は2026年6月末まで寄付を募っています。反町さんと内田さんは母校の人工芝化に期待し、客席に協力を呼びかけていました。
トークイベントの主な内容は次の通り。
2人の出会い

(小沼)反町さんと内田さん。2人は2008年北京五輪の時に、監督と選手としての関係性が生まれたんですよね。
(内田)もうねえ、反(そり)さんが監督の時、怖かったよ〜。監督と選手の間には一線があって、反さんは選手と距離を置いてましたよね。
(反町)初めて接したのは北京五輪の時ではなくて、実はその前でした。アルビレックス新潟の監督を務めていた時に、高校3年だった篤人(内田さん)が新潟の練習に参加したんです。5、6回、新潟の練習に来たよな?
(内田)そうですね。オファーをいただきました。
(反町)それと同時に清水エスパルスの練習にも、篤人は参加していたんだよね。その時の清水の監督は(清水東高OBの)長谷川健太でした。つまり、内田少年は清水東OBが監督をやっている新潟に行くか、清水に行くか、この選択肢しかなかったんです(笑)
私は、健太とは「内田はどんな感じ?」と話をしていたんですが、ある日突然「鹿島入団」と発表されたんです。「えっ、どういうことだ?」「清水東OBを馬鹿にしてるのか(笑)」と…。それが一番最初でした。

(内田)(苦笑)…。(会場の現役選手に向かって)今、鹿島、新潟、清水からオファーがあったらどこに行く?
(現役選手)鹿島です(笑)
(反町)ちょっとさ、「清水」って言ってくれない?(会場爆笑)
(内田)7クラブからオファーがあって最後まで迷いましたが、観戦していたJリーグの鹿島ー新潟戦で鹿島が大差で勝ったのを見て、その帰り道に「お母さん、僕は鹿島に行きます」と(笑)
(反町)では逆に、その試合で新潟が勝っていたら新潟に来ていた?
(内田)行ってないです(笑)その試合が後押しになりました。
(反町)でも、その後の篤人のキャリアを見れば、鹿島に行ってよかったと思いますよ。対戦する時は嬉しく思っていました。
清水東高時代の思い出
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(小沼)サッカー部時代はどんな思い出がありますか?
(内田)反さんの時代は「水を飲んでは駄目」の時代でしたか。
(反町)水を飲んだらどうなるか。今の時代では説明できない(笑)トイレに行って、顔を洗う時に水を口に入れていました。試合の時はハーフタイムにレモンの輪切りに砂糖を入れたものを食べていましたが、今考えたら余計に喉が渇くよね(笑)
(小沼)練習はどんなメニューを?
(反町)3トップで両ワイドからクロスを上げるのがチームのスタイルだったので、ほとんどがクロスからのシュート練習でしたね。
(内田)僕はサイドハーフだったので、「お前、ケンタリングの練習しろ」って言われていました。皆さん、ケンタリングって知ってます?長谷川健太さんのようにゴールラインの近くで腰をひねってクロスを上げるのが「ケンタリング」。これを2時間(笑)
(小沼)清水東を卒業して、社会に出て良かったことを教えてください。
(反町)勝沢先生から、礼儀やサッカーに対する取り組み姿勢とか、多くのことを学びました。サッカーを離れた生活でも今も大事なものとなっています。
(内田)サッカーの根本を教えてもらった気がします。「粘る、走る」もそうだし、人間力も、人とのつながりも。社会に出れば、いろんなところに清水東の先輩がいて、すごく助けてくれます。
(小沼)清水東がもう一度全国の舞台に立つために必要なことは?
(反町)指導者の存在は大切です。中学年代からやらなければいけないことを整理して、指導者がそれをやっていくこと。本当に一番大切なのは小学4〜6年のゴールデンエイジの時に、基本的な止めて蹴る、両足で蹴るとかをしっかり身につけておくこと。
昔の清水の指導者は夏場に朝から晩まで、ずーっとサッカーを教えていました。指導者の方々が汗水垂らして基本的なことをやって、子どもたちのベースができたから、中学高校でも強くなった。各年代に見合う指導ができるような指導者を育てることが大切だと思います。
少し苦言になりますが、静岡の人は指導者ライセンスの取得に積極的ではない時がありました。「独自でやればいいだろう」と。他県に比べて怠ってきたところはあると思います。
現役選手とのQ&A
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(現役選手)うまい選手とそうではない選手。違いは何ですか?
(内田)サッカーを「うまい」と「下手」で表現するのは難しい。「走れる」「強い」「高い」とか、ほかにもいろいろある。技術的なものはトラップを見れば「うまい、下手」は分かるけど、それ以外のことで感じるもののほうが多いですね。「うまい、下手」だけがサッカー選手の能力ではない。反さんは、一番に「戦える選手」を選んでましたよね。
(反町)それがベースにはありましたよね。もちろん「止めて、蹴る」という作業はしっかりできなければ駄目ですけど。
(現役選手)プレーがうまくいかない時は気持ちをどう整理すればいいですか。
(内田)サッカーはうまくいかないことばかり。でも、引きずらない、次に持ち越さないこと。プロになれば、1週間後には試合がくる。引きずっていたら良いプレーができないから、どんどん切り替えていく。でも練習の中では機械的に、感情を入れずに反復練習していました。
(反町)サッカーはミスのスポーツ。ミスを次にどう生かすかに目線を変えていくことが必要だと思います。
グラウンドの人工芝化について
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(現役選手)僕たちは毎日、土のグラウンドで練習しています。でも公式戦では天然芝や人工芝でやります。清水東がもっと高いレベルを目指していく中で、人工芝になるといいなと思っているのですが…(笑)
(内田)清水東がもう一度全国に出るためには、と考えたらしっかり整えることは大切だと思います。ライバルの静岡学園や藤枝東も人工芝になっていますよね。今も土のグラウンドには野球のグラウンドがあるの?
(現役選手)あります。
(内田)高校時代に仲間がマウンドで転んで鎖骨を折って、僕が急きょサイドバックに。日本代表への道はそこからでした(笑)
(反町)今でもみんなは、太ももにビフテキを作ってるんだよね。人工芝になればケガのリスクは少なくなるし、技術の向上も期待できる。グラウンドがボコボコではコントロールに気を使って、顔が上がらなくなってしまう。
(現役選手)土だと、家に帰った時にソックスがすごい汚くて、ちょっとお母さんがかわいそうです(会場爆笑)
(内田)人工芝は人工芝で緑になっちゃうけどね(笑)。でも、人工芝にするには結構な費用が掛かるんですよね。
(反町)内田選手がテレビ出演したら、そのギャラを…(会場から拍手)
(内田)反さん、子どもたちが聞いてますよ!(苦笑)
(小沼)やっぱり清水東のこれからのことを考えると、人工芝にした方がいいですか?
(反町)すぐにでも着手してもらいたいと思います。日常から公式戦と同じような芝生でやったほうが成績が上がる可能性も高い。やはり全国に出てほしいので、私もお金を出しますから…(会場から拍手)
(内田)僕が清水東に帰るのは、正月の初蹴りとか。やっぱり芝生のほうがいいなと思うので、協力させてもらおうと思います!(会場から拍手)。みんなにいい環境で3年間を過ごしてほしいし、そこで得たものを社会に出てから清水東や清水の街に恩返ししてくれたらうれしいですね。