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3時のアフタヌーンクリップ

 こんにちは。7月24日(土)午後3時を回りました。既に夏バテ気味です。昨日は奮発して、ものすごく久しぶりにうな丼を堪能しました。不思議なもので少し元気になった気がします。土用の丑の日は来週28日(水)です。
 この時間の〈知っとこ〉は定番の「アフタヌーンクリップ」です。コーヒーや紅茶を片手に気軽に読めそうな話題を4つピックアップしてお届けします。
 〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・松本直之〉

祝卒乳「完!PAI」ビール 富士宮のNPOと醸造所コラボ開発

 富士宮市のNPO法人母力向上委員会が、クラフトビール醸造所・フジヤマハンターズビールとコラボし、卒乳を祝うビール「完!PAI」を開発した。同醸造所の直営店舗(宮町、大鹿窪)などで販売している。

卒乳を祝うビール「完!PAI」をPRするNPO法人担当者=富士宮市野中
卒乳を祝うビール「完!PAI」をPRするNPO法人担当者=富士宮市野中
 コンセプトは「授乳を終えたママが初めて飲むビール」。やさしい苦みと、甘い後味が特徴のペールエール。黒を基調としたシックなラベルのデザインを採用した。同法人の担当者は「授乳期間はすごく大変。お疲れさまの一言とともにパパからのプレゼントとして使ってもらえたらうれしい。卒乳の節目を家族で祝うきっかけになれば」と願いを込めた。
 ビールは1缶720円(税込み)。6月5日から販売がスタートし、2週間ほどで初回生産分の約600本が完売。7月22日から販売を再開した。売り上げの一部は、同法人を通じて地域の子育て支援に活用していく。

浜松・ニコエ「かき氷甲子園」開幕 全国の名産品使った50種類

 春華堂主催の夏イベント「かき氷甲子園」が21日、浜松市浜北区の「ニコエ」で始まった。47都道府県の名産品をトッピングしたかき氷50種類を販売し、1日当たりの平均売上げ数で人気順位を決める。9月12日まで。

静岡クラウンメロンのかき氷
静岡クラウンメロンのかき氷
 静岡クラウンメロンや宮崎県のマンゴー、山形県のサクランボなどを使用。クリームやアイス、菓子と一緒に飾り付け、華やかなかき氷に仕立てる。昨年は栃木県の夏イチゴが優勝し、クラウンメロンは2位だった。
 4回目の今年は浜松の遠州落花生のかき氷が初登場。同社の担当者は「コロナ禍で旅行や帰省が難しい状況の中、全国の特産品を使ったかき氷を食べてほしい」と話している。

黒はんぺんをアレンジ「黒はんメンチ」 学生試行錯誤3年、静岡県内の天神屋で販売

 静岡市清水区の東海大静岡キャンパスの学生が22日、静岡県内3企業の協力で開発した「黒はんメンチ」の販売を開始した。特産の黒はんぺんを材料に、より多くの人に食べてもらえるようメンチカツにアレンジした一品。約3年にわたる試行錯誤を経て商品化した。

「黒はんメンチ」を店頭販売した学生=静岡市駿河区の天神屋曲金店
「黒はんメンチ」を店頭販売した学生=静岡市駿河区の天神屋曲金店
 学生たちは同大の教育活動「商品開発プロジェクト」の一環として、魚離れが進む食生活に一石を投じようと考案した。練り製品製造の丸又(焼津市)や水産加工品販売のショクザイ(静岡市駿河区)とともに商品を研究し、弁当・総菜販売の天神屋(同区)の協力で県内全27店での販売を実現した。
 材料のすり身の魚臭さを取り除くためにショウガやナツメグを加え、鶏ひき肉やおからを混ぜて食感に変化を持たせた。見た目も工夫し、衣に黒ごまを入れて仕上げた。
 発売初日は同区の天神屋曲金店で学生4人が店頭に立った。3年生の小林愛冬さん(21)は「実際に店頭に並び、手に取ってくれるのを見てうれしくなった。多くの人にぜひ食べてほしい」と話した。

頑張りたい、お姉ちゃんの分まで 五輪体操女子・芦川うらら

 体操女子平均台の個人枠代表で東京五輪の大舞台に挑む芦川うらら(静岡新聞SBS、常葉大常葉高出)。脊椎側彎(そくわん)症の影響で競技を断念した姉の七瀬さん(24)も、同じ五輪の舞台を夢見ていた。「体操を続けたくても続けられなかったお姉ちゃんの分まで頑張りたい」。姉の思いを背負い、25日に有明体操競技場で行われる予選に臨む。

姉の七瀬さん(右)と仲良く記念撮影する芦川うらら=6月、富士市(七瀬さん提供)
姉の七瀬さん(右)と仲良く記念撮影する芦川うらら=6月、富士市(七瀬さん提供)
 脊椎側彎症は脊椎が左右に曲がっていく病気。七瀬さんは小学6年生の時、背中に痛みを感じた。体操を続けたい一心で、脊椎の曲がりを抑えるために、体にコルセットを着用して生活した。
 痛みを抱えながらも五輪への思いが強かった七瀬さんは、中学2年時から水鳥体操館(静岡市葵区)に通い始めた。3年時はアジアジュニア選手権個人総合で優勝。五輪出場も期待された。
 ただ、症状は悪化するばかり。高校に進学後、医者からは手術を勧められた。「体操よりも普段の生活に支障が出て、学校に行けないこともあった」と母孝子さん(53)。高校3年まで競技は続けたが、五輪の夢を断念せざるを得なかった。
 七瀬さんが競技を引退した時、芦川は小学6年生だった。「お姉ちゃんがいなかったら体操をやっていたかも分からないし、五輪を目指していたかも分からない。本当に大切な存在」。七瀬さんの日頃からの支えに感謝し、演技で恩返ししたいと誓う。
 いつも身近で見守ってきた七瀬さんは「日本中の誰もが知る大舞台に自分の家族が立てることは誇らしい」と感慨深げ。「自分でつかみ取った権利。出せる力を100%出して楽しんでもらいたい」。無観客試合で会場に駆けつけることはできないが、妹が輝く姿を楽しみにしている。
 
地域再生大賞