⚾センバツ優勝経験 常葉大菊川・石岡諒哉監督、再び甲子園に

 2007年の選抜高校野球大会で静岡県29年ぶりの優勝を果たした常葉菊川高の捕手が、指揮官として母校を率いて甲子園に帰ってくる。27日、選抜出場が決まった常葉大菊川高の石岡諒哉監督(33)は、後にプロ入りした田中健二朗投手(DeNA)とバッテリーを組み全国制覇を達成した。「地区大会と甲子園とは景色が違う。準備が一番大事」。監督として、まずは甲子園初勝利を目指す。

選抜出場を決め、選手に胴上げされる常葉大菊川高の石岡諒哉監督(中央)=27日午後、同校室内練習場(写真部・田中秀樹)
選抜出場を決め、選手に胴上げされる常葉大菊川高の石岡諒哉監督(中央)=27日午後、同校室内練習場(写真部・田中秀樹)
選抜で初優勝し当時の森下知幸監督(右)と握手する石岡諒哉さん=2007年4月3日、甲子園
選抜で初優勝し当時の森下知幸監督(右)と握手する石岡諒哉さん=2007年4月3日、甲子園
選抜出場を決め、選手に胴上げされる常葉大菊川高の石岡諒哉監督(中央)=27日午後、同校室内練習場(写真部・田中秀樹)
選抜で初優勝し当時の森下知幸監督(右)と握手する石岡諒哉さん=2007年4月3日、甲子園

 高校時代は2人の監督の指導を受けた。2年夏までは磯部修三氏(82)、2年秋から森下知幸氏(61)=御殿場西高監督=。野球観も指導法も対照的な2人に多くを学んだ。
 犠打なしのフルスイング打線が代名詞となった森下監督には「高校野球の概念を覆された」。磯部監督のもとで堅実な野球を実行してきた選手たちは最初は面食らった。「公式戦になったらバントするんじゃないかと思っていた」と振り返る。
 当時の快進撃を「森下マジック」と評する。「チーム打率は高くないのに勝負どころで誰かが打った」。選手は皆「チャンスで回ってこい」と思っていたという。そういう雰囲気づくりを森下監督がしていたと後に気付いた。超攻撃野球の裏には、鍛え上げられた守備と走塁があったことも知られた話だ。
 ただ、石岡監督は森下野球に倣おうとはしない。「森下さんの野球人生があって行き着いた指導。思いつきじゃないから結果が出た。自分がコピーしても森下さんには勝てない」。一時代を築いた“菊川らしさ”にこだわるつもりはない。
 指導の礎となっているのが社会人野球時代の経験だ。高校卒業後に強豪ENEOS(エネオス)に入部。多くのプロを輩出する名門でもまれた。「エリートなのにみんな練習も試合も必死だった」。チーム内競争に、歯が立たなかった。
 栄光も挫折も味わった野球人生から学んだのは「必死にやることの大切さ」。監督に就任した20年春以来、選手とともに失敗を通して学び、試行錯誤しながら来た。「とにかく必死に、諦めない姿勢を見せたい。どんな野球かは見ている人が決めること」。実直に、勝利をつかみにいく。

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ
地域再生大賞