宝永噴火で埋没、生活の跡 小山・須走地区、すり鉢や急須など30点出土

 小山町須走地区で、富士山の宝永噴火(1707年)で埋まったすり鉢や青銅器の急須などの遺物が30日までに出土した。公的な調査で当時の遺物が見つかるのは初めて。町は「噴火直前の人々の生活が分かる」と意義を語る。

小山町須走地区で出土した(右から)釜、片口、青銅器の急須、すり鉢=同町
小山町須走地区で出土した(右から)釜、片口、青銅器の急須、すり鉢=同町

 現場は、世界遺産富士山の構成資産の冨士浅間神社に近いホテル米山館の東側の空き地。深さ約1・8メートル、人が生活して硬くなった面の上から、釜や片口など30点が出土した。深さ1・5メートルの土中からは屋根材のカヤや垂木が見つかった。
 すり鉢は1600年代後半に作られた品で、宝永噴火の時期と合致する。片口や釜はふたが器にはまった状態。町の担当者は「噴火直前に食べていた煮物が残っているかもしれない」と想像を膨らませる。
 宝永噴火の火山灰で当時の集落は埋没し、その上に現在の須走地区の原型となる街が形成された。地中に集落が残っているとの期待から、「日本のポンペイ」(町文化財保護審議会委員)とも言われる。2019年には、今回の現場から数十メートル離れた場所で埋没した家屋の一部が発見された。町は一帯を遺跡として登録する。
 今回の調査はスーパー建設に伴い、町と東京大が7月に実施した。現場は現状のまま地中で保存する。

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