​【『こんこん』の作者水沢なおさん(長泉町出身)インタビュー 】 テーマパークのキツネの着ぐるみ「こんこん」を愛する女性の物語。「自分の中の理想の愛」

静岡県のアートやカルチャーに関するコラム。今回は2026年3月20日に初版発行(奥付記載)された『こんこん』(河出書房新社)の作者水沢なおさん(長泉町出身)のインタビューをお届けする。「文藝」2025年春季号掲載の表題作に、書き下ろしの掌篇小説『水滴のシール』、詩篇『水色の家』を加えた。水沢さんは2020年に第一詩集『美しいからだよ』(思潮社)が第25回中原中也賞に選ばれ、詩と小説という二つの世界を行き来する。本作は『うみみたい』(2023年)に続く2冊目の小説集。着ぐるみへの「愛」を描いた表題作について、水沢さんの心境を聞いた。
(文=論説委員・橋爪充、写真=橋爪[人物]、久保田竜平[本] ※多少のネタバレが含まれています)

人間の魂が宿った着ぐるみへの愛

-『こんこん』はこれまで誰も言葉にしなかった愛の形を描いているように感じました。主人公の女性「まど」は、テーマパークにいる着ぐるみの「こんこん」、その中にいる人間、どちらも愛している。こういう関係性を取り上げようと思ったのはなぜですか。

水沢:自分の中にある理想の愛、理想の関係性を書きたいと思いました。 生身の人間同士が関係を築こうとすると、大きな喜びもあるでしょうが、恐ろしさや居心地の悪さを感じる瞬間もある。私は可愛いものがとにかく好きなので、可愛くてふわふわしていてやわらかくて、私をおびやかさないけれど、きちんと私を人間として見てくれる、そんな存在がいたらいいのにとつい思ってしまいます。実際に、自分と可愛いものとの間に「絆」のようなものを求めてしまうこともある。「こんこん」という存在はそんな気持ちから生まれてきたんです。人間の魂が宿った可愛い生き物と親密な関係が築けたらいいな、といった思いですね。

-まどとこんこんの関係を言葉にするのはとても難しいと思いました。例えば「恋愛」「偏愛」「溺愛」、どれも違うような気がします。「推し」「信仰」でもない。水沢さんご自身、この関係を表す言葉が見つからないから小説にしているという面はありませんか。

水沢:スタート地点は恋愛みたいな感覚だったんですよ。でも、話が膨らんでいくにつれて、恋愛だけに限らない関係性になってきて。

-最初は「恋愛」なんですね。

水沢:(語義通りの)「恋愛」という感じではないかもしれません。自分がどうしたら人を愛せるんだろう、といったところから考えはじめました。

-まどのこんこんに対する愛は、スーッと矢印が伸びる様子が思い浮かびます。まず外形的な可愛さに突き刺さるけれど、同じ矢印がさらに伸びていって、動きやしぐさでこんこんを形作っている一部でもある「中の人」、この小説で言うところの「結晶」に刺さる。この構図が面白いなと思いました。一方で、まどが何に惹かれているのかが分からなくなる時もあるんですよ。そのあたり、水沢さんの考えている「愛」が単純な言葉に変換しにくいという事情が影響しているのではないかと思ったんですが、いかがでしょうか。

水沢:最近、人間の魂、(この小説で言う)「結晶」みたいなものがどこに宿っているんだろうと考えるんです。本質はその内側にあるはずだと信じている一方で、「可愛い見た目のもの」にめちゃくちゃ惹かれてしまう。この矛盾ですね。見た目だけで判断してはいけないという自制があるけれど、そこ(外見)に惹かれていく自分も否定できない。

-よく分かります。外見と中身が一致するとは限らないですよね。

水沢:いろいろなテーマパークでは着ぐるみに「中の人」はいないという前提で運営されているようですが、いろいろ話を聞くと、着ぐるみの「中の人」の違いは分かる人には分かるんですね。その関係性に惹かれました。純粋な「何か」があるような気がしたんです。

安心して誰かと触れ合える瞬間を求めている

-まどは異性との身体的な接触に対して警戒感がありますが、一方で「結晶」が入ったこんこんには、包まれるようなハグを望みます。この落差が印象的です。1枚「膜」があれば身体的接触も自然に受け入れられるという。

水沢:生身の人間との触れ合いは怖いし、恐ろしい。傷つけたくないし、傷つけないでほしい。そうした気持ちがどうしても生まれてきてしまいます。だからといって、誰とも触れ合わないで生きていけるわけではない。みんな安心して誰か、何かと触れ合える瞬間を求めているのではないでしょうか。

-まどのこんこんに対するまっすぐな感情は、映像化したらちょっと「引く」ようなものだと思います。ところが、この小説、水沢さんの言葉で語られると、その感情が透き通ったもの、濁りのないものに感じられます。そして小説のもう片方には、男性相手の恋愛や性愛、そして結構シビアに結果が求められるようなお仕事が置かれていますよね。この対比、ご自分の中では何らかの「計算」があったのでしょうか。

水沢:まどの仕事は結構悩みました。水にまつわる仕事がいいんじゃないかと思っていましたが、その中でもウォーターサーバーの販売は、水を手渡す仕事だけれど、時にその行為が相手に拒まれてしまうこともある。そんなことを考えて選びました。

-テーマパークにいるこんこんは「100%受け止めてもらえる」という安心感があります。でもウォーターサーバーの販売は、目の前の相手との良好な関係がそのまま実績になるわけではない。対照的ですよね。

水沢:まどはテーマパークに通っている子で、そういうオタクの人は多分、土日曜や長期休みには行きたくないと思うんですよ。人が少ない日に行きたいという気持ちが強いはず。ウォーターサーバーの販売は、土日は働いて平日に休みのことが多いだろうから、まどの仕事としてリアリティーがありました。

-まどのこんこんへの愛情は絶対的。そのポジティブな感情がひっくり返った時の描写がいいですね。テーマパークでこんこんを撮影していたら、それを別の客に邪魔される。「間欠泉のように脳天から怒りが噴き出す」といった記述があって、それまでのまどのキャラクターを一変させる力がある。この反作用はどこから来るのでしょうか。

水沢:一般論的に言ってこういう怒りはありますよね。私自身、子供の頃からずっとオタクなので、応援しているものに対する自分の「好き」という気持ちをないがしろにされたら、まどのような怒りの目を向けてしまう瞬間はあり得る気がしています。

「何を推しているか」はコミュニケーションツール

-近年、日本社会では「推し」という言葉が何を意味するかが、割と広く認知されるようになりました。逆に考えれば「こんこん」という作品はこうした社会状況がなければ生まれ得なかった気がします。偶像的、虚像的なものに自分の存在価値を重ねるという感覚、10年前に今日のような広がりがあったでしょうか。水沢さんはオタク的な感性を子どもの頃から持ち合わせていると公言していますが、そうした立場から眺めると「社会がずいぶん変わったな」という思いはありますか。

水沢:気が付いたらオタクだったんですよ。ポケモンが大好きだし、漫画や絵本といった架空の世界にも興味があって。現実より架空の世界を想像して、その中で自分が透明な体で生きている、みたいな感覚がありました。インターネットと出合うのが早かったのもあって「もうひとつの世界を生きている」ことにリアリティがありました。ネットには、オタク趣味や好きなものを好きなだけ話せる、顔も名前も知らない誰かがいる。その一方で、学校ではオタクであるということをみんなに言えませんでした。皆さんそうだったと思います。

-ここ10年間で「推し」や「推し活」に向ける社会のまなざしはずいぶん変わりましたよね。

水沢:今は「何を推しているか」がコミュニケーションツールとして機能しています。まどみたいな(オタク的な)人はかなり前からいますよね。それが今、「推し」という言葉で照らされている。「推し」という名前が付く前から、こんこんのような存在を生涯愛し続けた人がたくさんいるんじゃないかな。

-そんなまどは、自分とこんこんの間にある一定の規範、ルールを守っていますがある時、衝動が抑えられなくなって踏み越えてしまいます。自分と「推し」の間のどこにラインを引くかは、難しい問題でしょう。「推す」側と「推される」側の間の線引きについて考えたりするでしょうか。

水沢:自分がなぜオタクとして熱中できるか。それは推しと絶対に交わらないから。相手が自分のことを1ミリも知らない、という状況があるからこそ熱中できるわけです。まどは相手の物語の中にグっと入りたくなって行動したのでしょう。自分とはそこが大きな違いですが、(物語に)入りたくなってしまう気持ちはすごくよくわかります。

-一線を越える行動の後、まどは恐怖します。なぜ怯えるかがまたユニークで、それは SNSで自分の姿が晒されてないかという点ですね。影響力のあるアカウントに転載され、拡散されてはいないか、ということをすごく心配する。この恐怖感って極めて現代的ですよね。水沢さんご自身は SNSとの付き合いについて気をつけていることがありますか。

水沢:見るのは好きですね。ただ言葉での交流、投稿に苦手意識があって。詩だったらいくらでも気持ちを伝えられたり、「好き」という気持ちを描けるのに。

魅力的な言葉の重なりを発見すると、どこまでも行ける

-この作品は「可愛いもの」への感情が充満しています。「可愛いもの」が人を動かすという意味では、前作の「うみみたい」もそうでした。水沢さんは「可愛いもの」の力を心底信じているのでしょうか。

水沢:昔から「可愛いもの」が無性に好きでした。(折り込み)チラシに描いてあったわさびのキャラクターを切り抜いてスクラップしたり。収集して、執着しちゃう。最近はこの世界の苦しさ、ままならなさを感じれば感じるほど、「可愛いもの」の無垢さ、ピュアさで包まれた優しさが際立って来るんです。可愛いものだけの世界に閉じ込められて生きていきたいとすら思うことがある。可愛いもののことを考えると、たまに泣けてくるんです。「守らなきゃ」という気持ちになる。

-まどが住んでいるのは静岡市という設定で、仕事場も市内のショッピングモールです。こんこんがいるテーマパークは神奈川県ですが「春野町」と説明されています。水沢さんご自身は長泉町出身ですが、小説に静岡要素を入れたのはなぜでしょう。

水沢:テーマパークの思い出として一番に思い浮かぶのが、家族で行った帰り道の高速道路なんです。遊び疲れてくたくたになって、お姉ちゃんと後部座席で買ってもらったお土産を見せ合うんですが、外灯のオレンジ色の光が差し込むんですね。その瞬間がとても幸せで。「こんこん」ではその場面を重ね合わせたいと思い、静岡を選びました。

-最後の場面、まどとこんこんの立場がいわば入れ替わるような締めくくりになっています。こういう着地にしたのはなぜですか。

水沢:初稿ではこういう終わり方ではなかったんです。別のゴールを探して、もう一度最初からまどとこんこんの関係性を読み返して、やっとたどり着いたんです。最終的には、これ以外考えられない終わり方になりました。ここにたどり着けたことが奇跡だと思っています。

-2020年に中原中也賞に選ばれて、6年たちました。この間に詩集が2冊、小説集が2冊。自分自身のペースを大事にしつつ、着実に作品を出している印象ですが、 6年間の歩みをどう振り返りますか。

水沢:あっという間、一瞬でした。本を作る、小説を書く、詩を書くことは大事なことではあるけれど、恐ろしさのようなものも常に感じています。テーマや書き方に変化はあるかもしれないけれど、底に流れるものはずっと同じですね。自分が美しいと感じ、心引かれるものを集め、それを一つ一つ形にした 6年間でした。

-終始ダブルミーニングを追求していますね。

水沢:言葉に導かれて物語を見つけていくのが好きだし、そういう詩人なんだと思います。魅力的な言葉の重なりを発見すると、どこまでも行ける感じがします。ひらめきに近いですね。今回もキツネを示す言葉であり、水が湧く音にも使う言葉でもある「こんこん」が、「着ぐるみの話」という構想とうまく重なった。今後も、言葉が偶然持つ「運命」のようなものに導かれて書いていきたいですね。

静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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