(文/論説委員・橋爪充、写真/写真部・久保田竜平)

読み終えた後のどんよりとした気分は、かつてメディアを通じて知った事件が「自分ごと」として迫ってくるからだろう。「家族」という閉じられた社会の一員として日々生活する私たちに、本作はとがったつぶてを投げつける。
「家族」の名の下に誰かを不本意に支配していないかという恐怖。「家族」という制度を人質にとられ、不本意に支配されるのではないかという恐怖。そして「家族」を理由に、あしきを罰する社会システムから置き去りにされるのではないかという恐怖。
帯にある「戦慄のクライムエンターテインメント」は言い得て妙だが、個人的には「恐怖の三段重」を次々開くような感覚に襲われた。
本作は巻末に作者自身が記しているように、2011年に発覚したいわゆる「尼崎連続変死事件」がモチーフになっている。新聞報道などによると、尼崎市の貸倉庫や民家の床下などから次々に遺体が見つかり、兵庫県警が「主犯格」と見なした角田美代子元被告(2012年12月に留置場で自殺)や、彼女の親族ら7人が殺人罪などで起訴された。周辺では少なくとも男女8人の死亡が確認されたという。
本作読了後、改めて事件の成り行きを静岡新聞のデータベースでたどってみると、角田元被告やその親族、被害者らの顔ぶれと小説の登場人物はおおむね一致する。作者は、角田元被告が血縁のない男女と養子縁組し、同居していた点に着目したのだろう。家族とはいったい何か。そんな問いかけが全編に満ちている。
角田元被告がモデルであろう本作の主人公、「ピンクババア」こと瑠璃子をはじめ、登場人物の定義する「家族」にはブレがある。守り守られする関係として使う場合もあれば、互いへの暴力を正当化する理由に使う場合もある。
唯一貫かれているのは「寂しさ」や「不安定」からの逃避場所としての「家族」だ。一人が怖いから身を寄せ合う。一人ではやっていけないから一緒にいる。ともに食卓を囲んで互いに家族であることを確認し合う。
豚バラ炒飯、ビーフシチュー、蜂蜜とスパイスで下味を付けた焼き肉、豚のモツの唐揚げ-。瑠璃子は料理の腕は確かだ。味付けはいつも甘め。擬似的な家族の強い関係性の象徴として、本作には食事の場面がいくつも出てくる。
ただ、読了して作品全体を考えてみると、食事場面は物語が進むにつれて減っていく。それは、この物語の擬似的な「家族」の「支配/被支配」がむき出しになる過程にほかならない。
ある登場人物の独白が哀しく響く。
「愛は家族の第一条件で、愛による支配こそが家族の本質です。でもね、その愛はどうしても血に縛られてしまうのではないでしょうか」








































































