
1995年5月9日に開館した静岡音楽館AOIが、30歳を迎えた。ステークホルダーや市民を集めた式典では、専属弦楽四重奏団「AOI・レジデンス・クヮルテット」による記念演奏とともに、音楽館の歩みを振り返るスライド上映があった。
1992年3月18日着工。郵便局と音楽ホールを合築するのは全国初の試みだったという。クラシック音楽に造詣が深い難波喬司市長は挨拶の中で、当時の設置者にリスペクトを込めて「駅前にこれだけ立派な施設を造った方々の思いの深さに敬意を払いたい」と述べた。静岡県民は、新幹線駅至近のパイプオルガン付き音楽専用ホールを静岡と浜松に持っている。これはかなり誇らしいことではないか。
スライド上映では「記憶に残る演奏会」を次々に紹介した。1995念の「真言宗豊山派声明」から2025年の「 オーケストラを聴こう」シリーズまで。膨大な主催演奏会の中から、ほんの一部を取り出したに過ぎないが、日本音楽あり、アフリカンパーカッションあり、ジャズピアノあり、交響楽団ありで、このホールがいかに多様な音楽を迎え入れていたかがよくわかる。

静岡県民なら誰でも、それぞれの「記憶に残る演奏会」があるのではないか。そんなことを考えながらスライドを見ていた。自分が挙げるなら、2011年の「生誕 100 年・没後 20 年 ジョン・ケージ:フォー・ウォールズ」と2023年の「桑原あい ジャズ・ピアノ・ライヴ」だろう。
野平一郎芸術監督は、AOIの初代芸術監督で昨年末に亡くなった間宮芳生さんを追悼した。その上で館について「時代の声が聞こえてくるホールにしたいと思ってやってきた」と語った。「さまざまな音楽ジャンル(の演奏)を可能な限り実現し、世界の人々とのネットワークを築く」「聴衆を育てることで地域の音楽シーンを生み出す」。言葉の一つ一つが、音楽ホールとしての「責任」を感じさせた。

演奏者の立場からのコメントも興味深かった。「我々は音楽ホールに育てられている。舞台と客席という特殊な空間を経験することでしか成長しない」。なるほど。
野平さんは「私自身も、美しい響きを探して成長してきた」と述べた。芸術監督は大所高所から眺める立場だが、野平さんは「当事者」であることも強調していた。本年度で退任する野平さんの意志を継ぐのは誰か。それは、まだ発表されていない次期芸術監督ではなく、このホールに足を運ぶ私たちであるべきなのかもしれない。