
「底辺高校のヤンキー」小林と、物事の同時処理が苦手で日常の行動をメモ化している転校生宇野。ともに天文部に入り、部の交流を通じて、二人そろって苦手な「自分の気持ちを誰かに言葉で説明する」の技術レベルを少しずつ高めていく。
第4巻は運動会の組み体操がテーマ。小林と宇野は「自分が苦手なもの」にきちんと向き合い、「どうにかする」ことに前向きになっていく。二人とも天文部という居場所ができたことで、どうすれば相手に「伝わるか」を真剣に考えるようになる。
「生きづらさ」というワードでは説明しきれない、「世界と自分のズレ」に気付くこと。自分ができる範囲でそのズレに、いわば「ハシゴをかける」こと。泥ノ田さんの物語はふんわりとそうした変化を感じさせる。「どうだ!」という雰囲気はほとんどない。
作品の前半部分は、宇野と姉さつきの小学生時代から現在までの成長譚である。小さい頃から「発達障害」を暗示させる行動の宇野。さつきは「大好きでも大嫌いでもなかった」弟に寄り添い、守ろうと孤軍奮闘する。父方の祖父祖母は「躾がなっていない」と母を責める。「そうじゃない」とさつきは分かっている。いつしか弟と「生き残りたい」と思うようになる。
心を打つ描写が次々に出てくる。筆者は最近、遅ればせながら「きょうだい児」という言葉を知った。まさにそれだ。彼らの心情の一端が、こちらに届くように描かれている。本作が扱っているテーマの切実さを、丁寧に受け取った。
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