
新入社員の皆さん、転職した皆さん。新年度の始まりで業務に奮闘していることでしょう。そんな皆さんと、新たな職場の仲間を指導する上長に古くて新しい話題をお伝えします。「KY(ケーワイ)」です。場の雰囲気に無頓着でマイペースな人のことを指します。いや、「ことでした」と言うべきでしょう。
始まりはK=空気、Y=読めないを合わせて「空気が読めない」でした。2007年の第24回ユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされました。若者がネット上の隠語として対象者を非難する意味で多用。この年の参院選で大敗した安倍晋三内閣を、野党が「KYがはやっているが、掻き集め、寄せ集めの意味でもKY内閣」と酷評したことでさらに知れ渡りました。
このKY、新たな解釈で注目されています。それは「場の空気に左右されず、不都合な真実を指摘すること」「率直な気持ちをありのままに伝えること」が必要との観点で、むしろ「空気を読む」ことの大切さを伝えるために「KY」が使われているのです。
KYと心理的安全性
社員研修で「職場の心理的安全性」が重要視されるようになりました。言いたいことが気兼ねなく言い合える、相手の存在を否定するのではなく闊達な議論ができる、そんな職場環境をイメージしてください。上司や部下、業務内容や部門の区別なく、皆が課題解決に向けて自由に意思表示する職場はチャレンジ精神を育み、改善や改革が進むとの考え方に由来します。終身雇用で年功序列、仕事は艱難辛苦を乗り越えて身に付けるもの-との考え方の対極にあると言えましょう。心理的安全性とKYは密接です。新卒採用の皆さんは学生時代、友人関係の中で空気を読んで振る舞う術を身に付けてきたと思います。新たなKYの解釈は場の空気、あるいは顧客との距離感などを理解して言うべきことをはっきり言う、という脈略で用いられる可能性があります。「空気が読めない」所作ではなく、「空気を読む」力量の意味です。
パワハラとホワハラ
こうした解釈が出てきた要因に「ホワハラ」が挙げられます。テレビドラマで、上司が「私がやっておく。残業しなくていい」と部下に声掛けしたところ、部下が「指導してくれない、ホワハラだ」と反発した場面が拡散しました。アラ還世代の皆さんは、職場で部下の仕事が過重にならないように気遣った発言をしたつもりなのに、後に「ろくでもないことばかりやらされる」と陰口をたたかれた経験はありませんか。厚生労働省が公表した「パワーハラスメント(パワハラ)6類型」には、精神的な攻撃や過大な要求に加え「過小な要求」も例示されています。成長の機会や能力の発揮を奪う指示もハラスメントなのです。上長の無意識なホワハラ行為は、目いっぱい職場の空気を読んだつもりで部下に寄り添う良い上司との評価を期待しているが故に、改善は難題です。
20年に施行された改正労働施策総合推進法「パワハラ防止法」を機に、「軍隊のような」「部活動のような」と称されるパワハラのない職場環境への意識が急速に高まりました。ところが、パワハラを気遣うあまり部下への正当な指示をしなかったり、ミスで気落ちしないようにと軽作業ばかりをさせたりする指導が続出したのです。
かつてのKYもパワハラもホワハラも、一方通行のコミュニケーションや思い込み、人へのレッテル張りの行き着く先の愚行と言えましょう。
「伝えたいこと」と「伝わったこと」
さて、石破茂首相が今年1月の施政方針演説で唱えた「楽しい日本」。野党やメディアは「国民は物価高に苦しんでいる」「いま言うか」と首相の“空気感”を酷評しました。私はこの論調に違和感を覚えます。首相の施政方針は「全ての人が安心と安全を感じ、自分の夢に挑戦し、『今日より明日はよくなる』と実感できる。多様な価値観を持つ一人一人が、互いに尊重し合い、自己実現をはかっていける。そうした活力ある国家」を楽しい日本と表現しました。前提条件が多すぎて、キャッチフレーズとして及第点に達していない印象ですが、発言の真意は与野党の政策も新聞社の社説も異論は少ないでしょう。それを実現するための政治理念や政策手法が異なるだけです。なのに、発言の一部を切り取り、酷評することに熱を上げるメディアはSNSのつぶやきと大差ありません。
施政方針演説に反省点があるとすれば、伝えたいことと結果として伝わったものの違いです。国会審議で野党議員が首相に「疲れ切って苦虫をかみつぶすようでは楽しい日本をつくれない」と問い掛けたように、首相演説で国民が受け取るメッセージは言葉だけではありません。表情やしぐさ、政治家としての来歴や立ち居振る舞いなど非言語情報も含まれるのです。それらは時に言葉よりも強いメッセージになります。結果として「空気が読めない首相」と国民が感じたのは石破首相の不徳の致すところなのです。
空気を読んで、そして何をする
誰もが気軽に情報の受発信ができるスマホやSNSの隆盛で著名人やタレントの何気ない発言が「炎上」し、時に仕事を失う時代。伝えたいことと伝わってしまうことの差異は時に非情です。私たちは善かれ悪しかれ、社会生活の中で「KY=空気を読む」術を身に付けていると言えましょう。要はそして何をするか、なのです。一律の正解はありません。空気を読んで黙るもよし、空気を読んで主張するもよし。KYを自分なりに考えてみましょう。
中島 忠男(なかじま・ただお)=SBSプロモーション常務
1962年焼津市生まれ。86年静岡新聞入社。社会部で司法や教育委員会を取材。共同通信社に出向し文部科学省、総務省を担当。清水支局長を務め政治部へ。川勝平太知事を初当選時から取材し、政治部長、ニュースセンター長、論説委員長を経て定年を迎え、2023年6月から現職。