【静岡駅伝】「今の僕があるのは…」亡き“恩師”のためにチーム結束 焼津市【第25回しずおか市町対抗駅伝】
11月30日に開催される「第25回しずおか市町対抗駅伝」。2024年も静岡県内35市町37チームが故郷の誇りを掛けてタスキをつなぎます。焼津市の過去最高順位は、第2回大会の10位。今年は、久しぶりの10位入賞を目指して、より一層気合いが入っています。それには、ある理由がありました。
「今までヘッドコーチをしてくださっていた森下コーチが春に亡くなり、みんな落ち込んだりとかそれぞれの思いがあって、焼津市チームの中から大きなものが欠けてしまった。その中でひとりひとりが森下さんのために、や、森下さんがやってくれていたから、というのを思い出して、ひとりひとりが強い思いで、市町駅伝はチーム一丸となって頑張れると思う」(佐野亜友美選手)
第1回大会から市町駅伝に出場。その後も選手として一般男子区間や40歳以上区間を走り、コーチとしても長年に渡り、焼津市チームを率いてきた森下則幸さん。しかし、2024年春、病気のため、53歳という若さで亡くなりました。森下さんのためにと、チームは例年以上の団結を見せています。
「私が学生あがりの頃から市町駅伝でお世話になってました。記録会の前とか、市町駅伝の前とかは、ナイーブになったりするけど、その時にすごくチームも盛り上げてくれるし、私自身も落ち込んだりしたときも『亜友美ならできる』って
言ってくれて、それで自信がついて頑張ってこれた」(佐野選手)
コーチとして、これまで大勢の選手を勇気づけてきた森下さん。教わった選手たちはこう振り返ります。
「コーチって普通一緒に走らないけど、一緒に走って同じスピードで走って声をかけてくれたのが印象に残っている」
「練習がキツイから、(森下コーチが)来たときに『あ~来ちゃったな』ってたまに思ってたりもしたけど、頑張った時はちゃんと認めて褒めてくれるのがすごく嬉しかった」
「情熱的な人だった、森下コーチは。ペースが遅れちゃったりしても、最後まで諦めないということを言ってくれていた。ひとつのことに対する思いというのがとても熱かったからすごく情熱的な人だと思った」
山下士惺選手(中3)は「小6の時に陸上未経験だった自分にたくさん教えてくれて、本番でタスキを渡して、『初心者でもこんなに陸上って楽しめるんだな』というのを教えてくれた。すごく面倒見が良くて、すごく面白いところもあった。大好き」と感謝の思いを語ります。
森下さんの想いは選手たちに伝わっています。チームに欠かせない存在だった森下さんの遺志を受け継ぎ、現在、チームを盛り立てているのが、佐野亜友美さんです。
「昔からいて、私も子供が3人いてお母さんの立場でチームの中でも小学生・中学生とか自分の子供みたいな年齢の子たちがいるので、そういう子たちの面倒とかを見ながらチームを引っ張って盛り上げていきたい」(佐野選手)
さらにもう一人、森下さんに特別な想いを持つ選手がいます。
「僕が学生の頃、市町駅伝をキッカケに森下さんと出会った。その出会いから消防を目指すという思いが芽生えたのを今でも覚えている」(原崎拓郎選手)
森下さんに誘われて、初めて出場した第3回大会。その出会いがきっかけで原﨑選手は、森下さんと一緒の消防士の道へと進みました。
「自分に厳しくて、僕ら若い人たちが挑戦することを常に背中を押してくれる人間としても尊敬できるし、競技者としても尊敬できる方だった」(原崎選手)
駅伝に対する熱い思いを持ち、長年焼津市チームを支えてきた森下さん。みんなから愛されていた森下さんの葬儀には、感謝の思いを伝えようと、大勢の人が駆けつけました。また、森下さんの自宅には、陸上で世話になった子供たちや消防の人たちからの感謝の言葉を添えた思い出の品が今もたくさん飾ってあります。
森下さんの想いを胸に走る、焼津市チームのしずおか市町対抗駅伝。
「今の僕があるのは、市町駅伝から始まっていると言っても間違いではないので、森下さんの思いも一緒にチーム焼津で一生懸命、上位進出していきたい」(原崎選手)
「森下コーチに教えてもらったことを最大限生かして自分の集大成となれるような走りを見せたい」(山下選手)
「森下コーチがこれまで教えてくれてたように最後まで諦めないで自分の今持っている力を全部発揮できるように走りたい」(土屋息吹選手)
「今年は特に森下さんに対しての気持ちがみんなすごく熱くあると思うので、いつも以上にチーム一丸となってそれぞれが自分の力を出し切って森下さんがすぐそこにいるぞという気持ちで頑張ってやっていきたい」(佐野選手)
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