語り:春風亭昇太

1934 年に行われた日米野球。当時17 歳の沢村栄治は、全米打線を、ルーゲーリックのホームランによる1失点に抑える快投を演じました。
その舞台となったのが、ここ草薙球場です。
球場正面には、全米チームの中心打者として来日したベーブ・ルースと沢村が向き合う像が建てられています。草薙球場は、狐ヶ崎遊園とともに、現在の静岡鉄道の前身である静岡電鉄の沿線開発事業の一環で建設されました。
神宮球場を参考に設計され、1930 年、茶畑だった場所に完成した当時の愛称は「電鉄球場」でした。
阪神甲子園球場で行われた中等学校野球の大会で、1926 年に静岡中、現在の静岡高校が全国制覇を果たし、その頃、静岡県は野球王国としての歴史を刻んでいました。
1939 年、静岡県に寄付された「電鉄球場」は、神話の英雄 日本武尊(やまとたける)を祀る草薙神社にあやかり、「草薙球場」とその名を変えました。
2013 年の改装で、グランドが広げられ、外野席に、県内産の間伐材を使った 7000 席が新設されました。
沢村―ベーブルースメモリアルスタジアムの愛称を持つ、この球場の中にある、球史ミュージアム。数々の写真とともに日米野球当時のホームベース跡が残されています。
今年、静岡に誕生した初のプロ野球チーム「くふうハヤテベンチャーズ静岡」。ウェスタンリーグで戦うこのチームによって静岡の新たな野球の歴史が刻まれていきます。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。