語り:春風亭昇太

静岡市に生まれ、人間国宝となった染色家 芹沢銈介。駿河区登呂にある美術館の近くには東京・蒲田で暮らした「芹沢銈介の家」の一部が移築して、残されています。この家は、もともと宮城県にあったもので、神社や穀物倉庫を造ってきた、日本古来の板倉と呼ばれる木造建築技術で建てられています。芹沢銈介はこの板倉に惹かれ、昭和32年に東京、蒲田の自邸内に移築し、改装して応接の場としました。
デザイナーでもあった芹沢は、戸や障子のデザインを自ら手掛け、もともとなかった出窓をつけたり、もとの造りをいかしつつ、自身の作品ともいえる家に仕上げました。1階には土間と応接間として使われていた20畳の板の間があり、作品の構想を練ったり、型紙を彫ったりする創作の場にもなっていました。
2階には和室が2間あります。この家には、芹沢が収集した、家具、木工品、染物、陶磁器など世界の工芸品があふれ、こうした品々を、来訪者の好みに合わせて飾り付けるのも芹沢の楽しみの一つでした。芹沢は「僕の家は、農夫のように平凡で、農夫のように健康です。」と愛着を持って語っていたと伝わります。
芹沢の没後、昭和62年に芹沢銈介美術館の附属施設としてこの場所に移築されました。古今東西の工芸品を集めた収集家としても評価が高い芹沢銈介。この家は、その審美眼を知ることができる貴重な空間としてかつての姿を残しています。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。