
(山田)今日は相撲の話ですね。
(寺田)大相撲界でいま静岡旋風が巻き起こっています。昨年の秋場所、九州場所と2場所連続で頂点に迫った熱海富士と、幕内最軽量の115キロで豪快な取り口を見せる翠富士に初の三役昇進、そして幕内優勝への期待が高まっています。
(山田)実はこの番組に相撲ライターの方がゲストで出てくれて僕も少しだけ勉強しました。300年の歴史で横綱はこれまで73人。そして奇数月に本場所があるんですよね。
(寺田)おっしゃったようにいまは奇数月の1月なので、初場所が開催中です。11日目までで西前頭筆頭の熱海富士は5勝6敗。東前頭2枚目翠富士は3勝8敗で負け越してしまいました。ともに今場所は幕内上位に番付が上がって苦戦していますが、これからに期待したいですね。今日はそんな相撲についてたっぷりと話をしたいと思います。
(山田)楽しみです。
(寺田)その昔、子供の頃、ある方に「高校球児がいつの間にか年下になり、横綱と同じくらいの年になったら一人前の大人だ」って言われたことがありました。
(山田)ほう。
(寺田)今「1人横綱」の照ノ富士が32歳。今場所横綱昇進を狙う霧島が27歳。
(山田)そんなに若いんですか!
(寺田)そうなんですよ。私はもう50歳近くなってしまいましたが(笑)。
ライバル不在では盛り上がらない!
(寺田)山田さんが好きだった横綱って誰ですか。(山田)朝青龍ですね。あとは曙かな。
(寺田)若乃花と貴乃花の「若貴」もいましたよね。その兄弟のライバルだったのが曙や武蔵丸といったハワイ出身の力士でした。
(山田)そうなんだ。
(寺田)私が相撲を見出したのは、若貴の前の千代の富士の時代でした。ここにも大乃国、今の芝田山親方という好敵手がいました。ハワイ出身の小錦もそうでした。
(山田)小錦さん!ウクレレを弾いている方ですよね。
(寺田)そうですね。筋肉隆々の千代の富士に対し、大乃国は巨漢でお腹が出た「あんこ型」でした。余談ですが、水曜日の3時のドリルを担当している橋爪充教育文化部長の放送を聴いてベルナール・ビュフェ美術館に久しぶりに行ったら、日本好きだったビュフェが大相撲を描いた作品がありました。そのモデルは大乃国だったんですよ。
(山田)そうなんですね。
(寺田)2000年代に入ると、千代の富士や若貴時代ほど相撲が国民的ブームにまでならなくなりました。朝青龍、白鵬というモンゴル出身の大横綱がいましたが、残念ながら好敵手がいなかったんです。
(山田)だから一人勝ちだったということなんですね。
(寺田)やはりスポーツは1強だと盛り上がらない。ライバルとの対決があると盛り上がるのだと思います。
(山田)だから若貴、曙時代はよかったと言われるんですね。
静岡県内の「相撲のまち」はどこ?
(寺田)そんな相撲ですが、今熱いんですよ。静岡県出身の熱海富士、翠富士が昨年大活躍し、今場所は幕内上位まで上がってきました。山田さんは静岡県内で相撲のまちといえばどこだと思いますか?(山田)熱海富士は熱海出身で、翠富士は焼津出身じゃないですか。県内で相撲のまち…。当てにいっていいですか。沼津では。
(寺田)惜しい!異論ある方もいらっしゃるかもしれませんが、焼津なんです。いま角界に入っている静岡県出身力士は18人で、番付が一番高いのは熱海富士ですが、翠富士から幕下で十両一歩手前まで上がってきた聖富士、同じく幕下の吉井まで県勢の番付上位から2~4番目が焼津市出身なんです。
(山田)そんなにいるんですか。
(寺田)もちろん、高校の部活として飛龍高相撲部の存在が大きいのですが。
(山田)だから沼津だと思っちゃったのかな。
(寺田)そういう意味では沼津も別に間違ってるわけではないんですけど、今日はちょっと焼津にスポットを当ててみたいと思います。では、なぜ焼津で相撲が盛んになったのだと思いますか?
(山田)焼津は港町ですよね。体も大きくなる感じなのかな。
(寺田)焼津と言えば遠洋漁業のカツオで有名な水揚げ金額日本一の港町です。今も昔も焼津港には全国各地からカツオ漁船が集まります。歴史をひもとくと、この漁師たちが陸に上がって次の漁に出るまで、持て余した時間で力比べをしたそうなんです。
(山田)へぇー。それが相撲につながるということですか。
(寺田)平成の時代にも足を高く上げる四股がきれいだった「片山」、業師の「青馬」という名力士がいた。
(山田)そうなんですか。
(寺田)私の高校の同級生に焼津市出身で小学生の頃から相撲を取り、今も子どもたちを指導しながら中学校の先生をやってる友達がいます。彼は翠富士も小学校1年生から指導してきたそうなんですね。さきほど話した元青馬の兼平さんの下で私の同級生も指導にあたっています。ところで、翠富士の得意技はご存知ですか?
(山田)これ、前に習いました。何でしたっけ…。
(寺田)肩透かしです。肩透かしとは、差し手を相手の脇に引っかけ、手前に引きながら体を開き、もう一方の手で相手の肩をたたいて引き倒す技です。
はたき込みとは違う。はたき込みは、単に体を開きながら相手の肩や背中などをたたいて落とします。相手が出てきた時、下がりながら繰り出す技で、よく土俵際とかで見ますよね。
でも、肩透かしは違うんですよ。こちらから相手に圧力をかけて自分で仕掛ける技です。
(山田)なるほど。
子供の頃からセンス抜群だった翠富士
(寺田)もちろんタイミングが重要で相手の力を利用するんですが、あくまで攻めの技なんです。相手から逃げていては絶対に決まらないんですよ。しかも、翠富士がすごいのはこの肩透かしを右でも左でもできる。だから、相手は動きを読めないんです。これが1番の長所です。私の同級生は「翠富士は小学生の頃から『何でそんな動きができるの』って光を放っていた」と言うんです。子供の頃からセンスが抜群だった。ただ、実は翠富士は最初から今みたいなスタイルではなかったんです。
最初は立ち会いで頭から当たって突き押す、押し相撲を教わっていたんですが、小学校4、5年生の時に首を痛めて、相撲を取れなくなった時期があったそうなんです。その時に元青馬の兼平さんから「頭から行かなくてもいいんだよ」とアドバイスを受け、才能が開花したそうです。
(山田)へぇー。
(寺田)兼平さんは「小学生は四股とかぶつかり稽古とかしなくていい」という方針なんだそうです。小学生の時にいくら鍛えてもそうそう筋肉はつかない。もちろん基礎は教えるんですが、それよりもとにかく相撲を取って技、技術を磨くことが大事だと。小学生の時に技を体にしみ込ませておけば、あとは体が大きくなれば勝てると言うんです。
山田さんが好きな朝青龍や白鵬はどこの出身ですか?
(山田)モンゴルですよね。
(寺田)そうです。今の東大関の霧島もモンゴル出身。モンゴル出身の力士が強いのはモンゴル相撲を小さい時から取っているからなんですよ。
(山田)ブラジルでは子供の頃からフットサルをやっているから、ネイマールのようなすごい選手が生まれるというのと同じですね。
(寺田)相撲はもちろん、立ち会いの当たりの強さとスピードが重要というのはあるんですが、究極的に言うと「どうやって相手の重心を崩すか」の勝負なんです。翠富士の肩透かしもそうですが、相手の重心が崩れれば、小柄な力士でも巨漢の相手を倒せるんです。サッカーやバスケットのドリブルで相手を抜くとき、相手の重心の逆を突くじゃないですか。
(山田)同じなんですね。
体格に恵まれた21歳の熱海富士

(寺田)ちなみに千代の富士の必殺技を知ってますか。
(山田)わからないです。教えてください。
(寺田)「ウルフスペシャル」。千代の富士の愛称だった「ウルフ」の名をつけた左上手投げです。左の上手で相手を崩し、さらに右手で相手の頭を抑えて倒す。子供の頃、友達とまねして遊んでました(笑)。
静岡の力士は、近年振り返っても小兵が多いんですよ。潮丸とか磋牙司とかもいました。ただ、そこにもってきて熱海富士は身長186センチ、体重181キロと体格に恵まれています。まだ、細かい技術が足りなくて、弱点を突かれるともろさがあるんですが、まだ21歳と若い。技を磨いて日本出身横綱の誕生を願いたいと思います。
(山田)あのキャラクターもありますよね。
(寺田)愛嬌がありますね。
(山田)かわいらしいですから。あとはこれに強さが伴ってくるとより人気が出てきそうですよね。
(寺田)焼津、熱海だけじゃなく富士、富士宮、磐田など県内各地から角界に入る力士が出てきています。静岡が「相撲王国」になる日も近いかもしれないですね。
(山田)そうですね。今月はいろいろと相撲を勉強させてもらっております。寺田さん、ごっちゃんです!今日の勉強はこれでおしまい!