藤枝は東海道新幹線誕生の原点だった!? 実は鉄道好き、新人アナ・松下が行く「藤枝の鉄道遺産巡りウォーキング」
イベントを振り返る前にまず、この記事を読んでくださっている静岡の皆さんは、東海道新幹線の誕生の原点が藤枝にあることを知っていますか?
え?藤枝に新幹線は停まらないでしょ?なぜ…?と考える方も多いでしょう。
実は、東海道新幹線の開業前、当時の国鉄技術陣が開業に向け、藤枝駅周辺を含む静岡県内で『こだま高速度試験』『第三線試験』といったテストを行っていました。このイベントは、そんなテストの現場にあたる藤枝駅から六合駅の間に今も残る鉄道遺産を歩いて巡ろう!というものなんです。
まずは藤枝駅に集合!
集合場所の藤枝駅で、早速、鉄道遺産を発見! 藤枝駅北口、現在は「ふじえだMIKINE」という建物になっていますが、この辺りはかつて静岡鉄道駿遠線という軽便鉄道が走っており、ここはその駅の一つ「新藤枝駅」があった跡地です。この建物も、改めて言われてみると鉄道の駅がモチーフになっているように見えてきますね。日本一の営業距離を誇った軽便、私も走っている姿を見てみたかったです…。
藤枝が「東海道新幹線誕生の原点」と呼ばれる理由に迫る
さて、場所を移動して今度はこちら!一見何の変哲もない踏切に見えますが、実はこの踏切こそ藤枝が「東海道新幹線誕生の原点」と呼ばれる所以でもあります。1959年7月、前述の「特急こだま」による高速度試験がJR東海道線の藤枝~金谷(島田市)間で行われました。
当時の狭軌線(鉄道における線路のレール間隔、日本のJR在来線など多くの路線が採用している規格)の世界最高速である「時速163km」を記録したのが、まさにここ藤枝・上青島の「瀬戸踏切」付近だったのです。
この近辺では他にも試験線区が敷設されていて、線路設備の耐久性やパンダグラフ性能の検証などの各種試験が行われました。
いま我々が東海道新幹線でスピーディーに気軽に移動している裏には、藤枝での試験や検証の成果がありました。山内さんの口から語られる歴史を紐解いていくと、普段何気なく乗っている電車も面白く感じますね。
志太地区特有の冬の西風で、この日は少し風が強く肌寒くはありましたが、いい天気の下、藤枝駅から六合駅まで線路に沿って歩くことができました。
ちょうど車内に人が少なかったこともあり、この写真を撮っている際の私は、先頭車両の窓に張り付いて、子どものように目を輝かせていたそうです(笑)。
鉄道の歴史の長さを表す建物を発見
あっという間に藤枝駅に戻ってきて、この日に見学する最後の鉄道遺産へ!藤枝駅で現在は殆ど使われていない“幻の”1番線ホームに降りると見えてきたのは、こちらのレンガ造りの建物「油庫」。明治時代に客車の室内灯・信号灯などに使われていた燃料を保管するために使われていた小屋で、藤枝停場開業当時の1889年から現在まで使用されています。鉄道の歴史の長さを表す建物を直接確認できる、非常に素敵な機会となりました!
イベントを終えて山内さんは「自分が子どもの頃に見た藤枝の姿は今も変わってないんです。誰も何もしないといつかは失くなってしまうからこそ、その姿をいつまでも伝承し続けたい」と語ってくださいました。
次回開催は未定ですが、定期的にこのような鉄道系イベントは開催しているそうです。
改めて感じた、鉄道の奥深さ。単なる移動手段と捉えず、その魅力や歴史、工夫を確認してみてください!
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