
SBSラジオ「TOROアニメーション総研」のイチオシコーナー、人気アニメ評論家の藤津さんが語る『藤津亮太のアニメラボ』。今回はスーパーカーにまつわるアニメについてお話を伺いました。※以下語り、藤津亮太さん
子どもたちが熱狂したスーパーカーブーム
1970年代後半に“スーパーカーブーム”がありました。週刊少年ジャンプで連載された『サーキットの狼』という作品がブームの火付け役ともいわれたりしていますが、大雑把にいうと「ヨーロッパ製の高級スポーツカー」が、当時の小学生にめちゃくちゃ刺さっていたという現象です。ランボルギーニ・カウンタックやフェラーリ・512、ポルシェ911という車に人気が出て、小学生がスーパーカー・ショーに写真を撮りに行ったり、プラモデルも売れましたし、下敷きやレコード、スーパーカー消しゴムも発売されました。
スーパーカー消しゴムというのは、要はキン消し(キン肉マン消しゴム)の先祖みたいなものです。これをノック式のボールペンのお尻でパチパチ弾きながら、教室の机でレースをしたりして遊ぶわけです。そんなふうに小学生に大ブームだったんです。
当時、子ども向けの雑誌の表紙といえば、戦隊ものなどの特撮ヒーロー、アニメのロボットものが定番でした。それが一気にスーパーカーに変わったのが1976年ぐらいのこと。ですから、テレビアニメや特撮を作る側も、子どもの興味が変わって番組が人気を得られないんじゃないか、と脅威に感じる事態でした。そういう流れがあったので、スーパーカーブームならスーパーカーアニメを作ればいいじゃないかとなるわけです。
実際に76年から77年にかけて5本、そういうアニメが登場します。ただ、これが難しい! 流行っているのは本物のヨーロッパの高級車なのに、アニメで本物を出せるわけがなく、しかも自動車ですから基本走ることしかできない。地味な印象になるわけです。それでバトル要素が加わることになります。
スーパーカーを取り入れた5本のアニメ
例えば『マシンハヤブサ』(1976年)では極悪非道のレースチーム・ブラックシャドウと、主人公がいる西園寺レーシングチームが危険なレースで戦います。そこではコースにトラップが仕掛けられていて、トラップに当たると死んでしまってもおかしくない。そんな決死のレースを繰り広げる話になっていました。翌年には『超スーパーカー ガッタイガー』が出てきますが、これも太陽エネルギーエンジンで動くガッタイガーを狙う悪者とバトルを行う話でした。ガッタイガーはレーシングカーなのですが、ミサイルがついていたり、5体の車が合体するギミックがあったりで、ほぼロボットアニメといった感じでしたね。
それからもう1本。『とびだせ!マシーン飛竜』(1977年)は東映本社がタツノコプロとタッグを組んで作った異色のアニメで、制作本体がタツノコなので、ノリが完全にタイムボカンシリーズのようでした。ゼニゼニチームというのが三悪(悪役3人組)のような感じで、善と悪のチームが競り合うというアイデアになっています。どうしてもバトル要素や派手さを入れなきゃいけないという感じだったのでしょう。
そんな中で、ある程度リアルだったのが『激走!ルーベンカイザー』(1977年)。これは解雇されたレーサーが、父親の友人の監督のもと世界を目指すというモータースポーツもの。
それから一番作品として成功していて、リアリティがあったのは『アローエンブレム グランプリの鷹』(1977年)。これは轟鷹也という青年が香取モータースというチームに入って修行を積んだ後F1に転戦して、レーシングドライバーでトップを目指すというカーレースものです。
『グランプリの鷹』は、リアリティラインも高くてレースものとしては人気を得て成功したという感じなんですが、他は波に乗ろうとしたけど、結局はそこそこという感じでした。
なぜかというと、当時のスーパーカーブームの中で、みんなが見たいのはアニメスタッフが考えた武装されたマシーンじゃなかったんですよね。アニメ的なギミックは番組的に必要なのですが、やっぱり子どもたちは本物のスーパーカーが見たかったわけで。アニメ側のアプローチはそこに応えられなかった。
子ども向け番組のニーズとスーパーカーブームの内実がうまくシンクロしなかったのだと思います。
スーパーカーブーム自体ももう78年ぐらいには下火になってしまいます。あまりに過熱しすぎた結果でしょうか。瞬間風速的にそういう時代があったということを思い出しました。