
鬼頭:八田選手の経歴を紹介します。1986年生まれ、三重県出身。高校進学時に地元の三重を離れて、ジュビロ磐田ユースに加入しました。J1リーグ86試合、J2リーグ69試合、Jリーグのカップ戦27試合、天皇杯17試合に出場。現役19シーズンをずっとジュビロ磐田で過ごした「ワンクラブマン」です。
ヒデ:これはなかなか難しいことなんですよ。19シーズン1クラブでやる方はなかなかいない。チームにとっても必要だったし、サポーターにそれだけ愛されたってことですよ。
まずサッカー始めたのはいつですか。
八田:小学2年生です。
ヒデ:高校から磐田なので越境ですよね。
八田:そうですね、寮生活を始めました。
ヒデ:プロになるんだったらここが一番早いルートじゃないかな、と。
八田:中学生ぐらいから親元を離れることを勝手に自分で決めていました。
ヒデ:僕は息子がいるんですけど、その志の高さが想像できないんですよ。
八田:三重県にJリーグチームがなかったので、どこかに行かないとっていうのがありました。クラブから誘いがあったので、一度練習に参加させてもらい、プロの練習を見させてもらいました。寮の説明を受けたり、ユースチームの練習場を見たりした時に、親も行ってほしそうにしていたので、決めました。
ヒデ:19シーズンもプロでやるなんて、もちろん目標はあったでしょうけども、大変だったと思います。
八田:でも、結果が出せなかったというのは自分の力不足だなとあらためて思いました。やっぱり勝負の世界はそんなに甘くないなと痛感させられました。
川口能活から学んだこと

鬼頭:高校を卒業してトップチームに入った時には、川口能活さんがいらっしゃった。
ヒデ:目標がすぐ目の前にあって、ある意味環境はよかったのでは。
八田:そうですね。でも、雲の上の存在だと思いすぎちゃっていました。本当にすごい選手だったし、プレーを見ても「これが日本代表やな」と思いました。
ヒデ:何がどう違うんですか。
八田:一つ一つの技術や動きが全然違いました。
ヒデ:僕が98年フランスワールドカップのジャマイカ戦を見に行った時、最後までずっと泣いていたのが能活さんだったんですよ。皆さん泣いていたんですが、能活さんだけずっと泣いていて、本当に悔しさを抑えられなかったんでしょうね。やっぱりこういう人はまた伸びて、代表としてのキャリアが続くんだなと思いました。
八田:能活さんと若い時に一緒にさせてもらったから、僕もあれぐらいやらないといけないなっていうのは本当に思いました。
ヒデ:もしかしたら八田さんの中で19シーズンも続けられた要因の一つだったかもしれないですよね。
鬼頭:「ワンクラブマン」と先程紹介しました。普通は出場機会に恵まれなかったら、違うクラブに出たいじゃないですか。
八田:でも運です。本当にタイミングが良かったんです。数字はそこまで伸びなかったですが、能活さんに何かあった時に、自分がベンチにいて試合に出られたり、勝てないときに僕を使ってくれたり。タイミングよく試合に出させてもらっていたので、残れたかなって思います。
ヒデ:本人は謙遜して「運」と言いましたが、運ってたまたまじゃないですからね。日頃やってきたことをちゃんと見ている人がいるからなんですよ。
すごかった選手ベスト3
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鬼頭:そんな八田さんが今シーズン限りで現役引退。
ヒデ:19シーズン、特に良かったことや辛かったことをそれぞれ挙げてほしいです。まず嬉しかったことは?
八田:試合に出て勝ったことですね。今振り返っても思うことはそれだけです。逆に言ったら悔しいことは負けたことです、負けたことの方が多かったです。
ヒデ:プロになると、自分やチーム、家族のためにやるから、負けたらそれは一番悔しいですよね。
八田:お客さんの前でやれるっていうのは一握りの人だし、そこで勝って喜べるのは勝ったチームだけなので、やっぱりそれほど気持ちいいものはないですね。
ヒデ:こちらリスナーから。「私は八田選手のがむしゃらなプレーを見て良い刺激を受けてきました。八田選手が対戦した選手で、すごかった選手ベスト3を教えてください」
八田:チームメートとやっている時間が多いので、中村俊輔さんやジェイ・ボスロイド、ヤットさん(遠藤保仁)。たくさんいますけど、その3人が記憶に残っています。
指導者の道へ

ヒデ:引退スピーチの時にたくさんのサポーターの方が集まる、そういう機会を設けさせてもらえるプロ選手も一握りだと思います。
八田:本当にやっていて良かったなと思いましたし、最後までやりきって良かったなと思いました。
ヒデ:そして最後、昇格で終われました。これも大きかったでしょうね。
八田:本当に笑って終われたし、気持ちよく来年度J1の試合を見られるので、その楽しみもまた一つ増えました。
鬼頭:J1昇格が決まった日はどこで試合をご覧になっていたんですか。
八田:家で見ていました。現場に行きたかったんですが、プレーオフの可能性もあって、その準備を監督からしてほしいと言われていたので、チームに残って練習して、家に帰りました。
ヒデ:これからはどうされますか。
八田:これまでサッカーしかやってこなかったので、これからは指導者としてサッカー選手を育てていけたらいいかなと思っています。まだ指導歴がないので、自分自身もレベルアップして、いい指導者になれるようにやっていきたいなと思います。
鬼頭:リスナーの皆さんにメッセージをお願いします。
八田:本当に長い間ありがとうございました。選手時代は皆さんが気をつかってくれていたんだなと思いました。これからまたどこかで会うこともあるかと思いますが、そのときは温かく声を掛けてください。
