わたしの街から ガラスの里・西伊豆
ガラス原料の珪石(けいせき)の一大産地として知られた旧賀茂村。国内有数の採掘地の歴史を生かし、村が着手したプロジェクト「ガラス文化の里づくり」が合併後の西伊豆町に引き継がれ、花開きました。
原料の産地ですが、ガラス製品とは疎遠だったため、工芸作家を招いてガラス文化の振興に尽力。地域色を表現した「かも風鈴」が注目を集めるなど“ガラスのまち”のイメージが浸透しました。従前の地道な活動や作家の歩みを追いました。
〈静岡新聞社松崎支局・土屋祐人〉
風鈴やキャンドル 移住作家の多様な創作
かつて採掘が行われていた西伊豆町宇久須地区。「ガラス文化の里づくり」は1988年、行政や住民が一体となって開始した。96年にガラス作家誘致に向けたツアーを企画、翌年に拠点施設「黄金崎クリスタルパーク」を開館した。これまでに移住した作家は8人を数える。
![地域の特色をデザインしたかも風鈴=西伊豆町宇久須の黄金崎クリスタルパーク](/news/images/n95/948021/IP210812TAN000059000_00.jpg)
![photo01](/news/shittoko/images/IP210812TAN000049000_00.jpg)
「名前だけじゃない。ストーリー性があるから自慢できる」。工房「光箱(ライトボックス)」を構える辻晋吾さん(61)は、かも風鈴の魅力を語る。独立を目指し、山梨県から移住したのは20年以上前。「地域のウエルカムな感じや土地柄が気に入った」と当時を振り返る。妻の井田未乃さん(52)と工房を営み、「(風鈴は)心に豊かさを与えられるものと思って制作に打ち込んでいる」と思いを口にした。
作家が取り組んできたのは風鈴制作だけではない。新生児へのガラスの記念品贈呈にガラス細工体験、ガラスのキャンドルナイトイベント-。各作家の多様な創作活動が地域に定着し、にぎわい創出や文化の継承につながっている。それを町が支え、地域が栄える好循環も見られた。
![photo01](/news/shittoko/images/IP210812TAN000051000_00.jpg)
26歳で石川県から移った、工房「FARO(ファロ)」の五木田淳子さん(51)は「ガラス文化を地域に根付かせた自負がある」。ただ、燃料費などがかさみ、生計に苦しんだことも。この時期に始めた、「私を買ってください。私はあなたを幸せにします」と声に出して制作に励む姿勢は今も忘れない。「自然に囲まれながら好きなことをまだまだ続けたい」。体力が続く限り、今後も作家の道を追求するつもりだ。
珪石採掘は1939年に開始 トロッコで運ぶ
西伊豆町宇久須で珪石(けいせき)の生産が始まったのは1939年。東海工業(本社・東京都)伊豆工場(現・伊豆事業所)が設立し、板ガラスの原料として出荷した。
![採掘が始まったばかりの当時の様子。珪石はトロッコで運んだ(町提供)](/news/images/n95/948021/IP210812TAN000054000_00.jpg)
![photo01](/news/shittoko/images/IP210812TAN000056000_00.jpg)
同社は現在、かつて板ガラス用に採掘した珪石をケイカル板などの原料として出荷する事業を展開。約70年前に建てた港近くの工場と事業所は当時のまま活用し、映画のロケに使われたこともある。
![photo01](/news/shittoko/images/IP210812TAN000055000_00.jpg)
【珪石採掘とガラス文化の主な歴史】
1939年 東海工業が珪石生産を開始
48年 東海工業が港近くに工場と事業所を新設
88年 旧賀茂村がガラス文化の里づくり事業を開始
90年 東海工業が珪石生産のピークを迎える
96年 ガラス作家が初めて移住
97年 黄金崎クリスタルパークがオープン
2001年 かも風鈴制作が開始
05年 かも風鈴のデザインコンテストが開始
08年 東海工業が珪石採掘を終了
逸品名品 カフェ「リリカ」の黄金崎ゼリーとパニーニ
爽快感味わって-。西伊豆町宇久須の黄金崎クリスタルパーク内のカフェ「リリカ」が販売する「黄金崎ゼリー」が、夏にぴったりの商品として来館者から人気だ。ピーチやパインなどのゼリーにそれぞれ炭酸を加えた逸品。イタリア風のサンドイッチ「パニーニ」も好評で、町特産の潮かつおなど5種類の味が楽しめる。
![黄金崎ゼリーとパニーニ](/news/images/n95/948021/IP210812TAN000053000_00.jpg)