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発生5年 熊本地震の教訓

 273人の死者を出した熊本地震から14日で5年が経ちました。震度7の連続発生、災害時のSNS活用、住宅耐震化など、さまざまな課題を私たちに突き付けました。記事を通じ、あらためて地震災害への備えについて考えたいと思います。
 〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・尾原崇也〉

史上初の震度7連続発生 本震「後から」で油断、被害拡大

 民家の軒先には段差が生じ、納屋は傾いた状態で固定されていた。母屋は解体され、残るのは基礎部分だけ。14日で発生から5年を迎える熊本地震。震度7を2度観測した熊本県益城町の谷川地区には今も激震の爪痕が生々しく残っている。

「本震」で民家の敷地に現れた布田川断層の一部。現在はシートで覆われ、母屋(左)は基礎だけが残る=2016年4月、熊本県益城町(同町提供)
「本震」で民家の敷地に現れた布田川断層の一部。現在はシートで覆われ、母屋(左)は基礎だけが残る=2016年4月、熊本県益城町(同町提供)
 段差は熊本地震を起こした布田川断層の一部で、垂直方向に最大70センチずれた。保存のためシートで覆われ直接見ることはできないが、変位量の大きさは実感できる。「地震エネルギーのすごさを感じてほしい」。語り部の吉村静代さん(71)はそう話し、激震を時間差で2度も経験した恐怖を振り返った。
 震度7の地震が起きた2日後、気象庁が余震に注意を呼び掛けているさなか、さらに大きな地震が発生した。大地震の後、同じ震源域ではその地震より小さな余震しか起きないという“常識”が覆され、被害は拡大した。熊本市の大西一史市長は「余震という言葉は間違いなく油断する」と警鐘を鳴らす。
 最初の地震直後に気象庁が発表した余震情報を当時、被災者がどう受け止めたかを文部科学省が調べたアンケート(有効回収数3272)がある。それによると、「大きな余震はもう起きない」と判断した被災者が最多で30・5%を占め、「さらに大きな地震が起きるかもしれない」と警戒したのはわずか4・6%にとどまった。
 熊本地震の教訓を重く見た気象庁は2016年8月、防災上の呼び掛けのあり方を見直し「余震への注意」から「同程度の地震への注意」と表現するようになった。全国の地震で同じ対応が取られている。
 10年前の東日本大震災でも同様の課題があった。大震災の2日前に三陸沖でマグニチュード(M)7・3の地震が発生。余震への注意が呼び掛けられる中でM9の超巨大地震が起きた。南海トラフ地震でも「前震」が起きる可能性がある。こうした教訓をどう生かすかは大きな課題だ。
 東京大地震研究所の古村孝志教授は「地震活動の推移予測は難しく、危険性を社会にどう伝えるかは重要な課題。情報の発信側と受け手側がキャッチボールしながら、より適切な発信、活用の模索をしていくことが大事だ」と指摘する。

 <メモ>熊本地震は、2016年4月14日にマグニチュード(M)6・5の地震、16日にはM7・3の地震が相次いで発生し、ともに熊本県益城町などで最大震度7を記録した。余震活動も活発で4千回以上に上った。内閣府によると、死者は熊本、大分両県で273人(19年4月現在)。地震による直接死は50人で、関連死が多くを占めた。
(静岡新聞 連載「東日本大震災10年しずおか 第2章 伝達の課題㊤」2021年4月13日)

熊本市長、災害時のSNS発信に有効性指摘 一方でデマ拡散も

 熊本地震で被災した熊本市で災害対応の陣頭指揮を執り、ツイッターでの情報発信が注目を集めた大西一史同市長に、復興状況やSNS発信の有効性、課題をオンラインで聞いた。

災害時のSNSでの情報発信の有効性と課題を語る大西一史熊本市長=5日(同市提供)
災害時のSNSでの情報発信の有効性と課題を語る大西一史熊本市長=5日(同市提供)
 ―復興状況は。
 「まずは静岡県民にお礼を言いたい。多くの自治体から応援に来ていただき、避難所運営や家屋被害調査、災害ゴミ収集などの対応に当たってもらった。延べ人数は3700人に上る。団体や個人から多額の寄付もいただいた。熊本市内では最大1万2千人が仮設住宅にいたが、ほぼ恒久的な住宅に移った。インフラ復旧も進んだ」
 ―車中泊が大きな課題になった。
 「余震が頻繁に起き、子供連れや1人暮らしの女性、ペット同伴者らが指定避難所を敬遠した。地震後、市民5千人を対象に市民アンケートを取ったところ、回答があった2438人のうち4割は車中泊をしていた。行政が把握できない避難者が大勢いた」
 ―SNSの有効性と課題は。
 「情報を素早く個人に直接届けられる点が大きい。被災や復旧状況を発信したが、多くの被災者が見て行動したと思う。逆にわれわれが水道の漏水箇所や災害ごみの投棄場所などの情報提供を市民に求めた。寄せられた情報に基づき早急に対応できた。一方、デマが広がった。『動物園からライオンが逃げた』というのが最たるもの。偽情報が善意で拡散することが起き、人々の情報リテラシー(読解力)にはまだかなり差がある」
 ―地震直後は多忙を極めたと思う。発信の工夫は。
 「早く市民に伝えた方がいいと感じた情報は、会議と会議の間に担当職員に内容を確認し早めに発信した。不急の情報は下書きだけして、時間がある時につぶやいた。災害時の首長の発信は効果が大きいが、タイミングや内容はこつがいる。日頃から実践し慣れておくことが大事。都合が悪い情報を包み隠さず伝え、市民との信頼関係を築いておくことも大切だ」

 おおにし・かずふみ氏 熊本県議を経て2014年11月、熊本市長に初当選。現在2期目。全国市長会防災対策特別委員長を務める。ツイッターで毎日つぶやき、フォロワーは16万2000人を超える。53歳。
(2021/04/16)

心の傷 癒えない被災者 それでも前へ 亡き夫思い自宅再建

 熊本地震の本震から16日で丸5年。熊本県益城町の村田千鶴子さん(87)は、激震で自宅が倒壊し60年連れ添った伴侶を亡くした。町で評判のおしどり夫婦だった。少しでも夫を身近に感じたいと、同じ場所に家を建て直し1人暮らしをしている。寂しさは癒えないが、夫が丹精込めて育てた庭のしだれ梅に思いを重ねながら「少しでも元気で過ごしたい」と願う。

夫が丹精込めて育てたしだれ梅のそばに立つ村田千鶴子さん。「梅は夫そのもの」と話す=3月下旬、熊本県益城町
夫が丹精込めて育てたしだれ梅のそばに立つ村田千鶴子さん。「梅は夫そのもの」と話す=3月下旬、熊本県益城町
 2016年4月16日未明、自宅で2度目の「震度7」の揺れに見舞われた。千鶴子さんは気付いた時、病院に搬送される最中だった。ほとんどけがはなかったが、同じ布団で寝ていた夫の恵祐さん=当時(84)=は落ちてきた梁(はり)の下敷きになった。
 二十歳の時、恵祐さんの強い意志で、周囲の反対を押し切って結婚した。恵祐さんは「幸せにする」と約束し、結婚記念のたびに「やりたいことはないか」と聞いてくれた。米やスイカを作る専業農家。結婚25年目に「飛行機に乗ってみたい」と初めて希望すると、東京旅行を計画してくれた。行きも帰りも富士山が見える席が用意されていた。
 毎晩、2人で1日を振り返るのが日課だった。「私のことをそんなに根掘り葉掘り聞くもんじゃない」とたしなめても、「おれの楽しみ」とうれしそうにした。「子供はできませんでしたが、幸せでした」
 恵祐さんの最期については、救助してくれた近所の人から聞いた。「あなたを救うためにあなたの上に覆いかぶさっていた。ご主人の分まで長生きせんといかんよ」。生涯をかけて妻を守った。
 以前の自宅は2日前の「前震」で傾き、建て直すことにしていた。住宅展示場に行く約束をした後、無情の別れが訪れた。千鶴子さんは町内の仮設住宅に3年弱住み、夫の近くに戻りたいと2019年に再建した。
 庭のしだれ梅は結婚した時、恵祐さんが植えた。樹齢60年を超え毎年、美しい花を咲かせる。「梅は夫そのもの。木が生きている限り、私も生きて大切にしたい」。5月には青葉が茂る。木陰に椅子を出し、立派な枝ぶりの“夫”とゆっくり会話をする日々を楽しみにしている。
  
 〈記者の目〉防災先進県へ遠い道のり
 熊本地震5年の節目を前に3月下旬、取材で現地を訪れた。震度7の激震に2度襲われた熊本県益城町では住宅や公共施設の再建が進み、着実な復興が目に見えた。地震発生直後にも訪れたが、当時の悲惨な状況から劇的に変わっていた。
 ただ、被災者の心の傷は癒えていない。自宅が倒壊し夫を亡くした同町の村田千鶴子さん(87)は「なぜ自分だけ生き残ったのか」と苦悩した。別の女性(71)は「まだ先が見えない」と笑顔はなかった。
 遺族をはじめ被災者が取材に応じてくれる時、つらい過去を思い出すことになる。それでも答えてくれるのは「私たちと同じ思いはしないでください」との思いからだ。東日本大震災の被災地でも何度となく聞いた。
 南海トラフ巨大地震が想定されている静岡県だが、木造家屋の耐震化は目標に届いていない。熊本市長はツイッターを駆使し、被災者にいち早く復旧や救援に関する情報を発信したが、静岡県で使いこなせる首長は何人いるのか。防災先進県への道のりは、まだ遠い。
(2021/04/17)

住宅耐震化、被災者支援、震災関連死…静岡県にも課題突きつける

 関連死を含めて273人が犠牲(総務省消防庁まとめ)になった熊本地震から5年が経過した。

 大きな被害を受けた熊本城は、復元天守閣の修復と内部展示の改修が完了、今月下旬から内部公開が始まる。ただし、堅固さを誇った石垣の修復にはまだ長い年月を要するという。熊本県によると、仮設住宅には3月末現在でも、150世帯418人が入居している。
 犠牲者が出た地震は、熊本以降だけでも大阪府北部(最大震度6弱)、北海道胆振[いぶり]東部(同7)、福島県沖(同6強)と続いた。人的被害が出る地震は、いつどこで起きても不思議ではない。住宅が倒壊しないか、家具は倒れてこないか―など揺れへの備えを再確認したい。特に耐震化は大切となる。命を守るだけでなく、生活再建のためにも住む場所の確保は欠かせない。
 熊本地震では、まずマグニチュード(M)6・5の「前震」が起き、熊本県中部の益城町で最大震度7を観測。28時間後にはM7・3の「本震」が続き、益城町と隣接する西原村で最大震度7を観測した。震度7の地震が立て続けに起こった例は観測史上初めて。震度7の揺れに2度も襲われた益城町では、古い耐震基準で建てられた住宅に倒壊が相次ぎ、耐震化の重要性が改めて認識された。
 さらに耐震性不足から災害拠点となるべき庁舎が損壊し、初動対応が遅れた自治体が複数あった。拠点を失っても業務継続のための代替施設や設備を準備しておくことが必要だ。避難所の運営などに職員を割かれ、人手不足から罹災[りさい]証明書の発行業務などに手間取るという問題も発生した。
 余震への恐怖などで自宅を出て乗用車に寝泊まりする被災者が多く、狭い車内に長時間いることでエコノミークラス症候群の発症リスクが高まった。車で避難し、公共施設駐車場に自然発生的に集まった被災者も少なくなかった。しかし、こうした人たちには被災直後、行政の目が行き届かなかった。
 被災者がどんな避難行動を取るかを事前に想定し、救援の輪からこぼれ落ちないようにする取り組みも欠かせない。避難所に関しては、昨年の豪雨災害から、プライバシー対策に加えて感染症対策が重要度を増している。
 死者のうち、家屋の下敷きや土砂崩れなど直接死は50人で、避難先などで亡くなった関連死の多さが目立つ。多くは病気や障害を持つ人とみられる。被災者は肉体的にも精神的にも疲労している。負担を和らげ、助けられる命を失うことがないように、対策を平時のうちから考えておく必要がある。
(静岡新聞 社説「あす熊本地震1年」2021年4月13日)
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