静岡ゆかりの作家・井上靖 長泉の文学館は開館50周年
伊豆市湯ケ島で幼少期を過ごした文豪・井上靖。代表作「あすなろ物語」の中で主人公が詠む「寒月ガカカレバ キミヲシヌブカナ 愛鷹山ノフモトニ住マウ」という歌にちなみ長泉町に建てられた文学館は、開館50年を迎え、企画展では芥川賞選考委員へ配られた“幻の腕時計”が展示されています。井上靖と静岡とのつながりや文学館について1ページにまとめました。
芥川賞選考委員へ配られた“幻の腕時計” 文学館に展示
芥川賞(日本文学振興会主催)受賞者の正賞として授与されることで知られる懐中時計。このほかに、1958年の同賞選考委員のみに配布された“幻の腕時計”が存在していたことが19日までに、長泉町井上靖文学館の調べで分かった。
徳山さんは企画展「井上靖と芥川賞」の準備を機に今春、1958年当時に芥川賞選考委員を務めた作家の記念館や記念室に関連資料の有無を問い合わせた。すると川端康成文学館(大阪府茨木市)から、文芸春秋72年6月特別号(「川端康成の死」特集)に掲載された沢野久雄氏の追悼文に、腕時計に関する記述があった、と連絡があった。
追悼文によると、芥川賞に4回ノミネートされたが受賞に至らなかった沢野氏が「残念賞で時計がほしい」と新潮に寄稿したところ、川端から腕時計を譲り受けたという。時計の裏には「芥川賞委員 川端康成殿 日本文学振興会 1958」と彫り込まれていた。当時の選考委員宇野浩二氏が「受賞者ばかりが時計をもらっているが、僕ら委員も、もらってもいいんじゃないか」などと発言し、同振興会の事務所が入る文芸春秋社が初めて各委員に時計を贈ったと聞いたことについても書かれていた。
振興会によると、58年以降、選考委員に時計が贈られた記録はない。現在、腕時計を所蔵する記念館は、井上靖文学館のみとみられる。徳山さんは「遺族も時計の存在は知らなかった。井上は太っ腹なので、川端と同じく人にあげてしまったのでは」と分析した。
腕時計は9月12日までの企画展で、井上が同賞受賞時に授与された懐中時計(伊豆近代文学博物館所蔵)とともに展示している。
(東部総局・菊地真生)
〈2023.8.20 あなたの静岡新聞〉
井上靖の略歴と静岡とのつながり
北海道生まれ。日本を代表する作家。軍医の父は転勤が多く1歳で伊豆市湯ケ島に移る。両親と離れ、13歳まで義祖母かのと土蔵で暮らした。浜松中学を経て沼津中学に転校、18歳まで三島、沼津で少年時代を送る。湯ケ島の自然と自身の成長は小説「しろばんば」「夏草冬濤(なつぐさふゆなみ)」「あすなろ物語」に投影されている。
「闘牛」で芥川賞。800を超える著作があり、代表作に「氷壁」「天平の甍(いらか)」「敦煌(とんこう)」「孔子」、詩集「北国」など。中国西域に引かれ日中両国の文化交流に尽くす。七六年、文化勲章受章。「風林火山」は2007年のNHK大河ドラマとして注目を集める。
〈2007.1.3 静岡新聞朝刊〉
50周年記念企画展 9月12日まで 大江健三郎氏との交流も紹介
長泉町井上靖文学館は9月12日まで、開館50周年を記念した企画展「井上靖と芥川賞」を同館で開いている。1950年に芥川賞を受賞した井上靖の生涯を振り返るほか、3月3日に88歳で死去したノーベル賞作家で芥川賞作家でもある大江健三郎氏との交流も紹介している。
企画展では、井上の大学生時代や新聞記者から小説家に転身した経緯を写真や作品を通じて紹介する。直筆の原稿や芥川賞受賞時に記念品として贈られた懐中時計も並んでいる。
井上が大江氏の作品を評価した言葉のパネルや国際交流として2人が海外に出向いた際の写真なども展示している。
(東部総局・天羽桜子)
〈2023.3.22 あなたの静岡新聞〉
伊豆・湯ケ島には井上の母の実家「上の家」も
伊豆市湯ケ島で幼少期を過ごした文豪井上靖の母の実家「上(かみ)の家」(同市湯ケ島)の保存改修工事が完成し、現地で(※2021年11月)23日、お披露目会が開かれた。出席者は湯ケ島地区での「文学の里づくり」拠点施設としての利活用に期待を寄せた。12月4日から一般公開する。
お披露目会で堀江昭二支部長は「上の家を中心に文学の里づくりをもう一度進めたい」と抱負を語った。宇田治良会長は「多くの人の力で修復できた。地元の人と大切に守りたい」と感謝した。
壁の一部は引き続き同大の学生が修復作業を行う。プロジェクトリーダーの向井菜萌さん(同大大学院1年)は「携われて良かった。雰囲気を残したまま歴史を継承できれば」と期待した。
(小沢佑太郎)
〈2021.11.24 あなたの静岡新聞〉