鎌倉殿の13人 北条泰時ってどんな人?
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公の息子・北条泰時。ドラマでは俳優の坂口健太郎さんが演じています。「北条家の原点」伊豆の国市の史料には、民衆思いの一面を示す逸話が残っています。取材を元に、泰時の略歴と市内で訪れたい場所をまとめました。
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〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・鈴木美晴〉
実直で民衆思い 武家政治を確立
1183年生まれ。幼名は金剛。父は北条義時、母は阿波局(義時の妹とは別人)とされる。源頼朝が元服時の「烏帽子親」を務め、その縁で一時「頼時」と名付けられるなど、頼朝に期待を掛けられていたと伝わる。 蹴鞠に興じて政務をおろそかにする鎌倉幕府2代将軍・源頼家(幼名・万寿)を批判したり、飢饉(ききん)にあえぐ窮民に対して米の借用証文を焼き捨てた上で米や酒を与えたりするなど、実直な人柄を示す逸話が『吾妻鏡』などに残る。
その後、北条政子が逝去。幕府創設時からの御家人も次々と世を去り、さらに幼い頼経(九条三寅)が鎌倉幕府4代将軍となる中で、幕府運営の安定化を模索。執権を補佐する役職「連署(れんしょ)」に叔父の時房(義時の異母弟)を任命した。 また、政務に熟練した御家人たちを「評定衆(ひょうじょうしゅう)」という役職に任命し、合議により幕府運営や訴訟処理を行う制度を創設した。 御家人同士の争いを公平に裁くための武士による最初の法律とされる「御成敗式目」も制定。式目は武家の統治範囲を明示して、公家の権益を守る効果もあったとされる。公武融和に努めたが、後に皇位継承問題で公家との関係は悪化した。
承久の乱後、北条氏一族の所領は増大したが、伊豆と駿河の両国には特別な配慮をして、 三島大社や走湯権現(伊豆山権現)に参詣したとされている。1242年、60歳で人生の幕を閉じた。過労に赤痢が重なったとする説のほか、承久の乱で配流となった後鳥羽上皇の怨霊に殺されたとするうわさも流れた。(韮山町史などを参考に作成)
訪れたい場所①願成就院
守山の麓に建つ、北条家の氏寺「願成就院」(伊豆の国市寺家)。北条泰時からさかのぼって義時、時政と、造営は親子3代にわたる。
かつては付近に池があり、平泉の毛越寺を模した浄土様式の寺院として繁栄した。しかし、1491年の伊勢新九郎(北条早雲)による幕府の出先機関「堀越御所」攻め、1590年の豊臣秀吉による韮山城攻めという二度の戦火で境内の面積は約4分の1に縮小した。
運慶作の仏像「阿弥陀(あみだ)如来像」、「毘沙門天(びしゃもんてん)像」「不動明王三尊像」の合わせて5仏をはじめ、国宝9点がまつられる。政子の七回忌に泰時が奉納したと伝わる県文化財の「地蔵菩薩坐像」(通称・政子地蔵)も所蔵されている。境内には時政の墓、堀越御所攻めで倒れた堀越公方・足利茶々丸の墓がある。
頼朝と政子の出会いの場で良縁成就の御神木とされる梛(ナギ)の木もそびえる。裏山の斜面には創建800周年の記念事業として製作された石像群「五百羅漢像」が点在し、奉納者が自身や大切な人を模して彫り込んだユーモラスな石像が、撮影スポットとして人気を集めている。
訪れたい場所②リニューアルされた大河ドラマ館
伊豆の国市四日町の「大河ドラマ館」は6月、展示の一部をリニューアルした。泰時(坂口健太郎さん)の等身大パネルやサイン色紙を新たに設置した。リニューアルの主なポイントは①「北条家の原点・伊豆の国」のコンセプトをより前面に出した②義時の妻・八重に関するコンテンツを増やしたーの2点。
北条関連では、主人公の義時の兄・北条宗時(演・片岡愛之助さん)が撮影時に着用した甲冑を新たに展示。周囲にしきりがないため、間近で見たり写真撮影したりできる。また、義時の弟・時房(演・瀬戸康史さん)の等身大パネルも加わった。
義時の妻・八重の関連では、映像コーナーに八重役の新垣結衣さんの独占インタビューを追加した。八重の衣装の横に息子の千鶴丸の衣装も展示した。
同ドラマ館の徒歩圏内には、北条時政、義時、泰時ら3代で造り上げた「願成就院」、地元では頼朝への恋が敗れて入水したと伝わる八重姫ゆかりの「真珠院」、頼朝と政子が富士山に向かって立つ夫婦像のある「蛭ケ島公園」など、大河ドラマゆかりの地がある。市観光課の担当者は「大河ドラマ館とともに、ゆかりの地の周遊も楽しんでほしい」と話している。