金原明善翁「近代産業の礎」 没後100年、遺徳しのぶ 浜松

 現在の浜松市東区出身で、天竜川の治山治水に尽力し、全国初の更生保護組織を静岡市で設立するなどした明治、大正期の実業家金原明善の没後100年に当たる14日、遺徳をしのぶ第100回明善祭(明善会主催)が同区の妙恩寺で行われた。行政や農業関係者、住民ら約80人が参列し、郷土の発展を改めて墓前に報告した。

金原明善の遺徳をしのんで焼香する参列者=浜松市東区の妙恩寺
金原明善の遺徳をしのんで焼香する参列者=浜松市東区の妙恩寺

 功績を顕彰する明善会会長の鈴木康友市長が欠席したため、長田繁喜副市長が「明善翁は幾多の困難を克服しながら多くの事業を起こし、近代産業の礎を築いた。功績を将来に渡って語り継がなければならない」とのあいさつを代読した。
 やしゃごの明善記念館(東区)館長の金原利幸さん(73)は「没後100年が経過し、明善が日本を豊かにしようと取り組んだ事業や考えをいま一度、皆さんに知ってもらいたい」と語った。
 明善は「川を治めるには山から」と水源涵養(かんよう)や木材生産の視点から上流部の荒廃地の植林に注力し、遠州の産業発展の基盤をつくった。偉業を広く伝えるため、3月末に更生保護を題材にした絵本が、9月には功績をたたえる小中学生向けの漫画冊子の出版が予定されているという。

 <メモ>金原明善(1832~1923年)は「暴れ天竜」と恐れられた天竜川の治水に取り組んだ。鹿島(浜松市天竜区)以南の川幅を一定に整えて堤防を造る河川改修などに私財を投じ、水害を防ぐ大規模な植林にも打ち込んだ。天竜川の水を三方原台地や浜名平野に引き込む利水の構想は後の浜名用排水幹線改良事業につながった。北海道開拓にも携わった。明治期に現在の更生保護制度の原点とされる出獄人保護事業に着手したことでも知られる。

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