大自在(12月21日)「新時代」の決め方

 昨年の静岡書店大賞を受けた一穂ミチさんが、「光のとこにいてね」で2回目の直木賞候補になった。関西在住だが、勝手に「県勢」として認識している。来年1月の結果発表が楽しみだ。
 会社勤めを続ける一穂さんは、本人の意向で顔写真を公開していない。静岡書店大賞授賞式の映像も、顔は覆い隠されていた。さまざまなインタビュー記事や動画も同様だ。
 一穂さんのような「姿が見えないクリエーター」は近年、主流になりつつある。「鬼滅の刃[やいば]」の漫画家吾峠[ごとうげ]呼世晴[こよはる]さんはその代表格。大みそかの紅白歌合戦に出場する歌手Adoさんも、一部ライブの観客を除き、顔を見た者がいない。
 作り手の姿を知りたい。受け手がそう思うのは自然な感情だろう。一方で、作品だけを見て評価してほしいというクリエーターの心情も理解できる。作者や制作過程についての過剰な情報は、作品への評価を濁らせる。
 文化芸術の世界とは異なり、憲法が規定する政治は「誰が」「どのように」決めたかをつまびらかにする必要がある。安全保障を巡る政府の動きは、この点が不十分だ。財源や増税の是非を論じる前に、5年間の防衛費約43兆円という総額がポンと出てきた。根拠や妥当性を国会で議論していない。関連3文書閣議決定後の岸田文雄首相の説明は、“作品”だけを見てほしいと言わんばかりだ。
 Adoさんが歌う「新時代」の歌詞が、皮肉めいて響く。「新時代はこの未来だ 世界中全部変えてしまえば」。歴史的な方針転換の先の新時代は、明るいものであってほしいが。

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