東海道名所膝栗毛画帖(1918年) 江戸懐古、旧道生き生き 袋井市郷土資料館【美と快と-収蔵品物語㊶】

  袋井に関する歴史資料を収集保管し、地域学習の拠点となっている袋井市郷土資料館。25日から始まる企画展「描かれた袋井と東海道」では、その目玉として、大正期に描かれた「東海道名所膝栗毛画帖」が公開される。江戸時代に“ベストセラー”となった十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」をベースに、江戸時代をノスタルジックに振り返った極めて珍しい作品だ。

「東海道名所膝栗毛画帖」1918年 藤川為信作
「東海道名所膝栗毛画帖」1918年 藤川為信作
「東海道五十三次之内 袋井」1834年 歌川広重 24×36・2センチ
「東海道五十三次之内 袋井」1834年 歌川広重 24×36・2センチ
「東海道名所膝栗毛画帖」表紙
「東海道名所膝栗毛画帖」表紙
袋井市郷土資料館
袋井市郷土資料館
「東海道名所膝栗毛画帖」1918年 藤川為信作
「東海道五十三次之内 袋井」1834年 歌川広重 24×36・2センチ
「東海道名所膝栗毛画帖」表紙
袋井市郷土資料館

 登場人物の弥次郎兵衛(弥次さん)と喜多八(喜多さん)の伊勢参り、そして、京・大坂へと向かう珍道中を江戸日本橋から大阪天王寺までの59場面の木版画で紹介した画帖。一部では、歌川広重の「東海道五十三次」に描かれた風景が意識されている。
 日本の印刷技術は明治時代以降、急速に発展した。明治後期にはカラー印刷の技術も進歩して、新聞や各種出版物にまでカラー刷りが普及するようになった。この画帖はそのような世情のなかにあって1918年、あえて木版画というレトロな表現を採用して生み出された。「最後の浮世絵集」とも呼べる作品だ。
 背景には、1889年の東海道本線の全線開通があるという。同資料館の山本義孝館長(60)によると、鉄道による移動や流通が主導となると、かつての東海道は「旧道」と呼ばれるようになり、懐古する旅行が盛んになった。山本館長は「画帖は、旧道に改めて目を向ける空気を読んで作られたものであろう」と推測する。
 作者は藤川為信という、明治から大正年間にかけて活動した浮世絵師とされる。ただ、画帖以外にほとんど作品が知られておらず、素性は分かっていない。
 袋井市は、かつて博物館構想の下で東海道袋井宿や、袋井にちなんだ浮世絵を積極的に収集した時期がある。この「東海道名所膝栗毛画帖」も、その中の一つ。100年以上前に作られた画帖だが、59場面が生き生きと描かれ、今も見る人を飽きさせない作品だ。
 

大やかん 手厚いもてなし 「東海道五十三次之内 袋井」1834年 歌川広重

 「東海道名所膝栗毛画帖」と同じ東海道袋井宿を描いた歌川広重作の浮世絵。旅人が一服する茶屋の横に「牓示杭[ぼうじぐい]」と呼ばれる目印が立っていることから、宿場の入り口であることが分かる。
 木からつるされているのは大やかんだ。通常は大規模な寺社の入り口などで参拝者に茶を振る舞うために使用されるが、広重は手厚いもてなしの様子をやかんで象徴し描き込んだとみられる。田んぼの様子から、稲刈り後の時期と推定される。現在の袋井市袋井に当たるこの場所には現在、市営の休憩施設「東海道どまん中茶屋」が建っている。


 袋井市郷土資料館 袋井市浅名1021。市浅羽支所(旧浅羽町役場)南に隣接する浅羽記念公園の一角に位置する。スタッフ手作りのレプリカやジオラマも用いて地元袋井の歴史を体系的に発信している。2018年に天皇在位中の上皇さまと上皇后さまが訪問された。
 「東海道名所膝栗毛画帖」と「東海道五十三次之内 袋井」は今月25日~12月23日に行われる企画展「描かれた袋井と東海道」で展示する。
 

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