里帰り中、夫の悲報 40年の歩み 別れは突然【残土の闇 警告・伊豆山②/序章 子恋の森の叫び㊥】

 紅葉した木々の葉が残る12月中旬、小川慶子(71)は1人で暮らす熱海市伊豆山の応急仮設住宅でスマートフォンを見つめていた。画面に映るのは7月の大規模土石流で犠牲になった夫の徹=当時(71)=と3年ほど前に撮った思い出の一こま。「楽しい日々はもう来ない」。あれから半年。今も絶望の淵にいる。

土石流で犠牲となった小川徹(右)に寄り添う妻、慶子。3年ほど前に撮影した思い出の写真
土石流で犠牲となった小川徹(右)に寄り添う妻、慶子。3年ほど前に撮影した思い出の写真

 突然の悲報だった。7月3日午前、慶子は沖縄県南城市に里帰りしていた。電話が鳴り、耳元に響いたのは知人の緊迫した声。「どこにいるの? 土石流で旦那さんが行方不明だから早く帰ってきて」。耳を疑い、一瞬、息が止まった。
 徹は土石流の数分前、長雨を心配する慶子と2人の娘に無料通信アプリで「雨かなり強いけど伊豆山は何でもないよ」とメッセージを送っていた。その直後の惨事を知る由もなかった。
 「うそであって」。慶子はそう願いながら飛行機に飛び乗った。しかし、翌日着いた伊豆山の自宅は既に跡形もなく、周囲は黒い土砂に覆われていた。徹は発災から15日後、土砂とがれきの中から変わり果てた姿で見つかった。
 40年以上連れ添った夫は「唯一無二」の存在だった。出会いは20代前半の頃、偶然居合わせた都内の喫茶店。背が高く、純朴な性格の徹にひかれた。2人はすぐに意気投合し、結婚を機に徹の生まれ故郷の熱海で暮らし始めた。2人の子宝に恵まれ、家事も育児も夫婦で常に支え合った。
 子煩悩な徹は、長女が1歳の時、立って歩いている姿を見て涙を流しながら喜んだ。その姿が脳裏に焼き付いている。授業参観や運動会などに積極的に足を運び、わが子の成長を何よりも生きがいに感じていた。
 娘たちは独立し、孫も生まれた。古希を迎えたころ、慶子は徹にこう話した。「いつか欧州に旅行に行きたい。これからは楽しいことばかりだね」
 そんなおしどり夫婦に、何の前触れもなく襲いかかったあの夏の悲劇。慶子と娘たちは、趣味のギターを奏でながら歌う徹の表情や日常の何げないしぐさを毎日のように思い出す。「大切な人を奪われ、悲しみと怒りで胸が砕けそうになるの」。いまだに現実を受け止められず、声を詰まらせる。
 11月、慶子は娘を失った小磯洋子(71)らとともに刑事告訴人になり、盛り土を含む土地を2011年まで所有し盛り土を造成した神奈川県小田原市の不動産管理会社の代表(71)と現在の土地所有者(85)に対する殺人容疑の告訴状を熱海署に提出した。その日、慶子が胸に抱いていた徹の遺影にはこんな言葉が書き添えられていた。「通報はなかった 何も知らずに 土石流に呑(の)まれ あなたはいない」(文中敬称略)
 >母失った悲しみを力に 「人災」確信、闘いを決意【残土の闇 警告・伊豆山③/序章 子恋の森の叫び㊦】

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