
(川内)今日付の静岡新聞オピニオン欄の「想考」でも書かせてもらいましたが、留学生受け入れ資格の取り消しや補助金凍結などで対立を深めていたハーバード大との関係について、米トランプ大統領がSNSで近く解決する可能性を示唆しました。唐突な発言で、20日に「1週間ほどで発表される可能性が高い」と投稿しましたが、詳細は明らかにしていません。「『仰天するほど』歴史的でわが国にとって有益なものになる」とも語っています。トランプ氏得意の「ディール」(取り引き)かなと。
(山田)「仰天するほど」とはどういう意味なんでしょう。円満な解決を演出しているようにも見えます。どんな発表があるか、要注目です。
(川内)まさに、ふたを開けてみないと分からないというのが、私の率直な印象。ハーバード大をはじめとする名門大学への圧力や、研究機関の予算削減など科学研究そのものを縮小させる姿勢を改めるべきです。米国の科学の停滞は超大国の求心力を衰退させるにとどまらず、世界にとって大きな損失と言えます。
ハーバード大への圧力
(山田)改めて、ハーバード大との対立の経緯などを教えてください。(川内)トランプ政権による大学への圧力強化は、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザでの戦闘に反対する抗議デモの中心地だったコロンビア大から始まり、「反ユダヤ主義を助長した」などの理由でハーバード大などにも広がりました。内容は政府補助金の削減や留学生の受け入れ制限です。
ハーバード大に対しては留学生の受け入れ資格停止措置を発表しました。さらに、ハーバード大への新規留学生の米入国を一時停止することも布告しましたが、これらはいずれも連邦地裁が差し止めていて、留学生の受け入れ容認は維持されています。全学生に対する留学生の割合を、現在の27%から15%程度に制限すべきだとも主張しています。
(山田)ハーバード大の留学生の実数はどのくらいなんですか。
(川内)140カ国以上の約6800人が在籍し、日本人の学生と研究者も260人程度いるとのことです。大学にとって留学生の授業料は重要な収入源の一つで、そこを絞ろうという意図も見えます。
世界各国の米大使館で5月から停止していた学生ビザ取得のための新規の面接予約は近く再開されるようですが、ビザ申請者に対し包括的で徹底的な審査をするため、SNSのアカウントを全て公開設定にするよう求めていて、言論の自由を抑圧する恐れもあります。
名門大締め付けの背景は

(山田)トランプ政権はなぜハーバード大などに圧力をかけているんですか。
(川内)トランプ氏の支持層である労働者階級が抱く、高等教育への根深い不信や嫉妬に同調しているとみられます。エリート層が「米国を牛耳っている」「自分たちを見捨てた」と思わせ、既存政治に不満を持つ白人労働者の支持を固めようとしているのでしょう。
名門大は授業料も高額な「エリートの象徴」。「ハーバードへの補助金を各地の職業訓練に分配する」とも語っています。トランプ氏自身はハーバード大やコロンビア大を含む東部の名門8大学「アイビーリーグ」の一角をなすペンシルベニア大の出身で、エリートと言えます。
(山田)ハーバード大は大統領も多く輩出していますね。お金持ちが行って、そのまま上流階級になるというイメージ。ハーバード大をいじめることで、支持者を盛り上げようということか。
(川内)米国は分断や価値観の二極化が進んでいて、高学歴エリート層がジェンダーや地球環境を巡る進歩的価値観を主張する中、トランプ氏の支持基盤である白人非エリート層は教育や科学に疑いを持つようになったとも伝えられています。トランプ政権の科学軽視は、支持層のこうした傾向に迎合しているという見方もできます。
トランプ氏は実業家としてのし上がってきました。人間の感情というものを良く知っていて、人心掌握術にたけていると言えます。その能力を政治に利用しているのではないでしょうか。
研究機関への予算を削減
(山田)締め付けは大学だけではないようですね。(川内)政府関係の研究機関など広範囲に及んでいます。例えばNASA(米航空宇宙局)について大幅な予算の削減案が示されています。日本も参加する米主導の月面有人探査「アルテミス計画」も含まれ、日米で昨年4月に合意している2028年に日本人が月面着陸することも実現性が危ぶまれています。
気候変動対策などを担う米海洋大気局(NOAA)や世界最大級の医学研究機関である米国立衛生研究所(NIH)なども予算縮小の対象になっているとのことです。
(山田)日本にも影響が出そうだ。
(川内)これまで多くの世界中の研究者や学生が、米国のリベラルでレベルの高い学術環境に刺激を受けてきました。その果実は自国に還元されると同時に、地球規模の課題解決に大きく貢献しています。例えば、新型コロナ感染症に対するワクチンの開発などです、
(山田)世界を大きく進歩させてきたわけですね。
(川内)特に影響が懸念されるのが、長い年月を費やした先に社会を大きく変える成果を上げる可能性を秘めた基礎研究です。米国がリードする分野で、研究の継続性が求められるだけに、中断するようなことがあれば痛手は大きいでしょう。
進みつつある「頭脳の流出」と獲得競争

(山田)「ネイチャー」については、論文が載れば世界的なお墨付きと僕も聞いたことがあります。
(川内)流出した頭脳の国際的な獲得競争が始まっています。欧州連合(EU)は米国の人材を呼び込むために5億ユーロ、レートにもよりますが約820億円を拠出すると発表しました。科学技術強国を目指す中国への流出に対する警戒感もあるようです。
今後、中国とそれ以外の国の間で獲得合戦が激化することが考えられます。カナダやオーストラリア、香港政府なども積極的に動いています。
(山田)日本はどうなんですか。
(川内)政府レベルや各大学の施策として研究者や学生の受け入れの動きが出てきました。文部科学省の呼びかけもあり、東大や京大、明治大や立命館大など日本国内の87大学が支援策を表明し、政府は米国からの流出を含む海外の研究者を呼び込むために1000億円規模の緊急パッケージをまとめました。
(山田)乗り遅れるなということか。
「米国だからこそ」の科学の土壌
(川内)流出した頭脳の受け入れは、注目論文数の最新の国別順位で過去最低の13位に沈む日本にとって研究力強化のチャンスという見方もあります。研究機関の国際的な研究力ランキングでも、最新の数字では東大の23位が最高。それに続く京大は55位で初のトップ50圏外になるなど低迷しています。(山田)日本の研究力低下については、以前にもこのコーナーで川内さんが話していましたね。
(川内)しかし、長年にわたり圧倒的なスケールで多様な人が交わり、新しい価値を生み出してきた「米国だからこそ」の科学の土壌は、ほかに代え難いのではないでしょうか。
(山田)「米国だからこそ」というのは良く分かる。
(川内)米国の混乱に乗じて自国の利益を追求することに違和感もあります。本質的にはトランプ政権の姿勢に問題があり、改めるべき話です。
政府が日本国内の研究費を削減し、大学経営も厳しい中で、果たして海外の研究者を囲う余裕があるのかということも冷静に考えなくてはなりません。
(山田)チャンスかもしれませんが、台所事情を考えると大丈夫かなとも思います。奨学金を借りて懸命に勉強している学生などから見れば、「私たちのことはどう思っているのか」と言いたくなるのではないでしょうか。
(川内)確かにそうですね。この状況がトランプ政権の4年間で済むことなのか、見極めも必要です。
(山田)トランプ氏がハーバード大との合意発表の見通しを「あと1週間ほど」と語ったのが20日。両者がどう折り合うかなど、目が離せません。今日の勉強はこれでおしまい!