サッカーJ1清水エスパルスのホーム「IAIスタジアム日本平」(静岡市清水区)が現在の形に改装されて、2025年3月で30年を迎えた。「日本一のピッチ」と称されるサポーター自慢のスタジアムである一方、アクセス面や老朽化など課題は多く、新しいスタジアムを求める声は、日に日に高まっているが、いまだ、実現には至っていない。
静岡では議論が続く一方、全国では次々と新しいスタジアムが誕生している。中でも、注目を集めているのが「まちなかスタジアム」。ここには、静岡が学びたいものがいくつもあった。
工場跡地に生まれた「新たな街」
「スタジアムシティに関わってくれたすべての方の人生が、音楽でつながる時間が過ごせればと思います」
歌手・福山雅治さんは、こう観衆に語りかけた。2024年10月13日、福山さんの故郷に誕生したスタジアムのこけら落としとして無料ライブが行われ、約2万5,000人が地元が生んだスターの凱旋と歌声に酔いしれた。

ライブの舞台となった「長崎スタジアムシティ」は、JR長崎駅から歩いて約10分の場所に位置する工場跡地に生まれた。サッカーJ2V・ファーレン長崎のホームスタジアム「PEACE STADIUM Connected by SoftBank」を中核施設とし、日本初となる部屋から試合が観戦できるホテルや温浴施設、スーパーマーケット、ショッピングモール、オフィス、スタジアムの上空を横断するジップラインなどのアクティビティ、さらに長崎大学の新キャンパスまでが、東京ドーム1.5個分の広さの敷地に集約された、まさに「新しい街」だ。
スタジアムは、試合日以外も常に開放。すべてキャッシュレスのフードコートで注文した料理は、スタンドの座席で食べることもできる。取材したこの日は、天気も良く、スタンドで会社の同僚とランチを楽しむサラリーマンやスタジアムを1周できるコンコースで、ランニングをする若者の姿もあった。
「人が多くてびっくり」
「長崎じゃないみたいで楽しい」
こう語る市民はみな、どこか誇らしげだ。オープンからわずか半年で、長崎の新しい顔となった。
さらに、「この街」には、静岡市が現在、JR東静岡駅前に建設を計画しているアリーナもある。「HAPPINESS ARENA」と名づけられ、B1リーグを戦う長崎ヴェルカのホームアリーナはチームカラー「ヴェルカネイビー」に染まっている。

2026シーズンに開幕するプロバスケ新リーグ「Bプレミア」の基準を満たす6,000人収容。全席にドリンクホルダーがついているほか、高級ホテルを思わせるVIPルームが複数有するのも特徴だ。こけら落としは、こちらも長崎の英雄・さだまさしさんが務めたほか、音楽ライブやイベント、アウェーゲームのパブリックビューイングなども開催している。
「年間20日のサッカーの試合だけだとイベント日は非常に少ない。アリーナであれば、年間150日とか、うまくいけば200日の稼働ができる」
スタジアムシティを運営するリージョナルクリエーション長崎の折目裕執行役員は、当初の計画段階では存在しなかったアリーナ誕生の経緯をこう明かした。
スタジアムとの相乗効果は、すでに出ている。
「いままで日本でできなかったこともできる」
V・ファーレンのゲーム後、ヴェルカの試合を観るため、スタジアムからアリーナへと観客が“ハシゴする”という光景があるというのだ。
総事業費は当初、500億円を見込んでいたが、結果として1,000億円に。資金は、すべてジャパネットホールディングスが自己調達した。V・ファーレンの場合、長崎市から新幹線でひと駅の長崎県諫早市に、大規模改修して間もない「トランスコスモススタジアム長崎」をホームとしていたが、それでも、クラブのメーンスポンサー・ジャパネットは、新スタジアム建設へと舵を切った。その理由は明確だった。

「トラスタは行政からの借り物。本当の意味で、V・ファーレンカラーに染めることはできない。新スタジアムをつくれば、いままで、日本でできなかったこともできる」(折目執行役員)
収容人数は2万人と、トラスタとほぼ同じ。しかし、折目執行役員は「3万、4万席という考え方もあるが、器を大きくした分、建設費用も膨れ上がる。ならば、客席は2万にすることで、常にスタンドが埋まった雰囲気が作ることができる。そうすれば、『サッカーを観たい』というライト層も増え、チケットの価値も上がる」とみる。
サッカースタジアムは、「ハコモノ」ではなく、あくまで「商業施設」。だから、1,000億円をかけても意味がある。「サッカー場で採算は取れるのか」と問いには、「スタジアムシティ全体でペイする」と返すという。
「スタジアムシティが長崎の暮らしを豊かにするひとつの場所になればいい。ここで楽しんだ人が街へと繰り出す、また市民がここを回遊してくれれば、長崎はもっと魅力的な街になる」(折目執行役員)
長崎で生まれた大企業の思いはただひとつ、地元への恩返しだ。
75年前の図が大きな後押しに

広島・平和の象徴・原爆ドームの前にある路面電車の電停から歩いて6分ほどの場所にあるのが、街の新たなシンボル「エディオンピースウイング広島」。J1サンフレッチェ広島のホームスタジアムとして、こちらも2024年に完成した「まちなかスタジアム」だ。
広島に新スタジアム構想が持ち上がったのは、20年以上前のことだ。当時、サンフレッチェがホームとしていたのは、クラブのメーンスポンサー家電量販店の「エディオン」の名を冠した「エディオンスタジアム広島」。1992年のアジア大会のために建設された陸上競技場は、広島市の郊外にあった。最大のネックがアクセス面。中心部からは約50分、自家用車で来る観客も多く、試合後はいつも周辺で渋滞が起きていた。
転機は2003年、当時の秋葉忠利広島市長が「サンフレッチェと共同してサッカースタジアムを建設する」と公言。そこで、サンフレッチェがこだわったのが、場所だった。
「(エディオンが)店舗を出店するうえで、やっぱり立地というのが一番ポイント。スタジアムも同じ考え」。サンフレッチェ広島の森重圭史スタジアムビジネス部長は、ここだけは譲れなかったと振り返る。
そこで、サンフレッチェが希望したのが、街なかの中心部にある広島市民球場跡地。しかし、話はここから二転三転する。最終的に行政が提示したのが、広島港そばにある広島みなと公園だった。距離こそ、街なかに近くはなったものの、アクセス面では、従来のスタジアムと大差なかった。
すると、エディオンの創業者でもあるサンフレッチェの久保允誉会長は断固拒否し、「サンフレッチェは完成しても使わない」と宣言。そこで浮上した案が平和公園や県庁などにほど近い中央公園だった。
「ここは丹下健三さんの『平和公園計画』の中で、スタジアムを置くとされた場所。被爆して焼け野原になった後の広島の復興のあるべき姿、『平和の軸線』という形で描かれた図が75年前にあったことが(新スタジアム建設の)大きな後押しになっているのではないか」と森重部長も感慨深げだ。

この場所は、なるべくして、スタジアムとなった。サンフレッチェは20年以上の時を経て、念願の「まちなかスタジアム」を手に入れたのだ。名前にも、「平和」を意味する「ピース」が入った。
「相互送客」から生まれた140億円
総事業費は約285.7億円。「建設はギリギリのタイミングだった。工事はコロナ禍でスタートし、ウクライナとロシアの戦争が資材高騰に拍車をかけた」と広島市の藤川由美スタジアム調整担当課長は振り返る。結果として、当初より建設費は上がったという。

事業主体は広島市、そこに久保会長をはじめ、広島の財界や市民などから合わせて約77億円もの寄付が集まり、建設費用に充てられた。まさに、広島の力を結集して作り上げた「みんなで作ったスタジアム」(藤川担当課長)なのだ。
ピースウイングの誕生によって、広島の街に変化が生まれた。
スタジアムから徒歩圏内にあるJR横川駅近くの商店街では、人の流れが変わったという。試合日には、サンフレッチェはもちろん、相手クラブのユニホームを着た人たちも多く見かけるようになり、関係者は「時間帯によっては倍くらいになったんじゃないかと思うくらい」と驚く。飲食店を営む女性は「お店に入られる姿もよく見られるようになったし、本当におかげさま、いいことばっかり」と笑う。
開場1年ですでに140億円を超える経済効果があったという試算もある。「相互送客というか、サッカーを楽しみ、その後は広島の街で、美味しいものを食べたりとか、副産物的なものはどんどん生まれやすくなっている」(森重部長)
最も変化があったといえるのが、平日夜開催のゲームだろう。
「街なかとスタジアムを結ぶハブ…これまでのビジネスと違う」

2月19日水曜日、アジアチャンピオンズリーグ2のノックアウトラウンドのゲームが行われた。キックオフ時間が迫る中、スタジアムへと向かう仕事帰りの人の姿が多くあった。
エディオンスタジアム時代の平日夜開催は、Jリーグのリーグ戦でも観客動員に苦戦、国際大会ではなおさら厳しかったというが、この夜の観客数は9,471人と、これまでの平日開催の倍近いの数を記録した。
サポーターからも「(ピースウイングが)行きやすいところにあり、本当に良かった」「(以前のスタジアムでは)帰りのバスが混んでいたが(ピースウイングは)そこが解消されている」と好評だ。

新スタジアム周辺は、路面電車、アストラムライン、バスに、JR線と、多くの交通手段があり、いずれも徒歩10分から20分圏内。ネックだったアクセス面は格段に改善された。
課題もある。ピースウイングのある中央公園は、都市公園法に基づき整備された公園のため、長崎のように、というわけにはいかない。そこで、問われるのがどうやって収益性を高めていくかだ。そこで、広島市は、スタジアムを「多機能施設」として、試合が行われない日も稼働すること前提に、スタジアムと芝生広場を一体にした整備を実施。「(ピースウイングが)収益を365日あげられるような工夫」(藤川課長)を施した。
例えば、スタジアム内には、大小さまざまな部屋を設置。試合後に使われる会見場は企業の発表会に使われたほか、スタジアム自慢の大型ビジョンを使って医療系の学会が行われたり、一周できるコンコースを使っての駅伝大会も開かれたりした。さらに、芝生広場の周辺には飲食店やサウナなどが入る商業施設を建設。指定管理者はサンフレッチェが担う。

森重部長は「街なかにスタジアムがあるということは、サンフレッチェが『まちづくりに参加する』ということ。皆さんもこれを期待されている。街なかとスタジアムを結ぶハブの役割として、様々なコンテンツを提供できるかを考え、行動に移していくというはこれまでのサッカービジネスと違う」と話す。
そのうえで「有意義な時間の過ごし方をサンフレッチェが提案することで、地域の中になくてはならないスタジアムという形になれば」を未来を見据える。
では、静岡はどうか。
その街に暮らす人たちの心を豊かにする場所
新スタジアム構想の歴史をひも解くと、「東静岡駅そばに5万人のスタジアム整備を」という声が最初に上がったのは1996年。日本平スタジアム(現IAIスタジアム日本平)の改修が終わった翌年だ。
13万筆余りの署名を受け取った小嶋善吉市長(当時)は「都市部であれだけの土地を使えるのは最後のチャンス」と答えている。しかし、その後、議論は停滞。気づけば「サッカー王国」ながら、新スタジアム計画は完全に後塵を拝することになる。
エスパルスや歴代のJリーグチェアマンが建設の要望を繰り返す中、ようやく2021年になって、スタジアム整備に向けた調査を開始。JR清水駅東口の民有地と既存のIAIスタジアム日本平の改装案の2案まで絞られた。しかし、2025年2月21日の定例会見で、静岡市の難波喬司市長は「ハッキリ申し上げると、地権者との調整がなかなかつかない」とJR清水駅東口案が進展していないことを明らかにしている。

市の試算では、スタジアム建設にかかる費用は約240億円としている。しかし、建設資材の高騰は止まらず、静岡市では市民文化会館の大規模改修が、これを理由に最低限の工事に縮小されるなど影響を受けている。これから控えるアリーナ、さらに新スタジアムと考えると、ますます厳しい状況が予想される。難波市長は行政だけでの建設は考えておらず、民間の協力は必要不可欠だ。
スタジアムはかつて、場所に重きは置かれていなかった。中心街から少々離れていても利用者や観客が足を運んでいた。そこでスポーツを楽しんだり、観戦したりするための「ハコモノ」だったが、それも、もはや過去のものになろうとしている。
広島や長崎を取材して感じたのは、「まちなかスタジアム」とは、その街に暮らす人たちの心を豊かにする場所だということだ。「ハコモノを作る」という発想から「街に、“スタジアム”という地域を動かす新たな装置を加える」という視点へと転換し、議論、整備を前へと進めてほしいと願うばかりだ。