離れているのに共通点いっぱい、静岡県と鹿児島県

直線距離で約820キロも離れている静岡県と鹿児島県。幕末には討幕を進めた薩摩藩と、徳川家康から徳川慶喜まで徳川家に縁の深い駿府という立場の違いから対立した2地域でしたが、実は2県の間には共通点がたくさんあるのをご存じでしたか?
お茶の栽培ではライバル関係 
   九州の南端にある鹿児島県の県庁所在地、鹿児島市は夏は蒸し暑い日が続き、冬は氷点下になることは多くないといいます。さらに南に位置する奄美地方は、南日本気候に属するほど暖かいそうです。太古から火山活動が活発なため、火山灰が堆積した水捌(は)けの良いシラス台地が広がり、鹿児島県の土地の50%以上を覆っています。

鹿児島県知覧町の茶畑

 水捌けの良い土地は米や野菜の栽培に向いていません。代わりに鹿児島ではお茶の生産が盛んに行われています。産出額は2019年に252億円を記録。全国で1位となっています。

 しかしお茶の産地といえば「静岡」。記録が残る1967年から50年以上、静岡県がトップの座を独占していました。翌年20年にはトップの座を鹿児島から奪還し面目躍如。この2県は常に国内の茶生産をリードしています。

 鹿児島の茶栽培は戦後飛躍的に伸びました。これには静岡からの栽培技術の指導に加え、平坦な土地が多かったことにより大規模な茶畑を造ることができ、機械化が進んだことが理由とされています。農水省による2015年の調査では農家1戸あたりの栽培面積は静岡の1.3ヘクタールに対し、鹿児島は3倍以上の4.3ヘクタール。鹿児島の茶園経営は三重や宮崎、京都、埼玉など茶の主要生産県の中でも飛び抜けて効率的です。

富士山を望む静岡県の茶畑

 一方の静岡の茶畑は山の斜面に多く、機械化が困難で人手による作業負担が大きいという特徴があります。若い担い手は減る一方で、後継者不足から廃業する農家も少なくありません。今後は大規模農園を持つ鹿児島が国内の茶生産をリードしていくともいわれていますが、ペットボトルを除く緑茶の消費量は減少しており、需要喚起、新品種開発などの緑茶をめぐる課題は両県に等しく突きつけられています。最近では海外での抹茶人気が高まっているので、国際的な視野に立ち、2県で連携した取り組みも必要かも知れません。

先鞭つけた静岡の養慢技術、環境生かした鹿児島
 緑茶以外で静岡と鹿児島に共通するのが養鰻です。2022年、静岡県は2365トン、鹿児島県は7858トンのウナギを生産しています。ウナギ養殖発祥の地といわれる静岡県では温暖な気候、豊富な地下水を生かし、1891(明治24)年に原田仙右衛門が湖西市で、服部倉治郎が、97(明治30)年に浜松市西区舞阪町で養鰻をスタートさせました。以来「ウナギといえば静岡」と全国にその名が知られるようになり、数多くの養殖に関する技術も静岡から発信されました。

養鰻技術は静岡県で発達しました

 現在、国内シェアの約40%を鹿児島県が占めています。中でも日本最大のウナギ養殖産地として知られるのが大隅半島。1972年に大隅地区養鰻漁業協同組合が設立され、南国特有の温暖な気候に、シラス台地に育まれた良質な地下水という、静岡と似通った環境を生かして養慢が盛んに行われています。 

ウナギの資源保護も重要になっています

御用船の難破が縁で生まれた日本を代表するスイーツ
 このように、自然環境から共通項が多い静岡県と鹿児島県ですが、歴史にも深い繋がりがあります。寒くなるとつい手が伸びてしまう「干し芋」。薩摩芋を蒸して乾燥させただけの食べ物ですが、素朴な甘味とねっとりとした食感が人気でコンビニなどでも気軽に買うことができる“スイーツ”です。現在は茨城県が国内生産量のトップですが、その発祥は静岡県です。

 1766(明和3)年、御前崎沖で遭難した薩摩藩の御用船「豊徳丸」の乗組員を、地元の組頭、大澤権右衛門と付近住民が助けたことをきっかけに静岡県に薩摩芋が伝来します。当初現金をお礼に差し出されましたが大澤は「難破船を助けるのは村の習わし」と断ります。それではと、薩摩藩側は当時、藩の特産品で栽培方法は門外不出と厳しく管理されていた薩摩芋3本と栽培方法を大澤らに伝えました。

 砂地だった御前崎近辺は薩摩芋の栽培に適していて、すぐに薩摩芋の産地となりました。大澤はその功績が認められ「いもじいさん」の名称で広く愛され、御前崎市の海福寺に供養塔が立てられています。

 その後、保存のために薩摩芋を煮て包丁で薄く切ったものを天日で干す「煮切り干し法」が考案され、これが「干しいも」の始まりとされています。天日干しすると甘さとやわらかさがより増します。この地域特有の冬に吹く偏西風「遠州からっ風」と長い日照時間は、干し芋の生産に適していたようです。
   人命救助が縁で鹿児島の農産品が静岡に伝わり、保存のための工夫が人気スイーツとして静岡から日本中に広がりました。

 レトロな銘菓に隠された「縁」
 鹿児島で有名なご当地お菓子にセイカ食品の「ボンタンアメ」があります。発売はなんと1925(大正14)年。南九州の特産、文旦などのエキスや果汁が入っているため甘酸っぱく、独特の食感が幅広い年代に人気です。

        大正生まれのロングセラーです(セイカ食品提供)

 ボンタンアメの特徴の一つが包装。アメの一つ一つが粉薬を飲む時に使うオブラートに包まれていて、はがしたりせずそのまま口の中に入れるのが正しい食べ方です。

      オブラートははがさず食べます(セイカ食品提供)

 実はこのオブラートは静岡産。静岡市葵区の「国光オブラート」の製品が使われています。セイカ食品の担当者は国光オブラート社が「安心、安全、品質の面において日本を代表するオブラート製造技術を持っているので」と採用の理由を説明します。鹿児島のロングセラー銘菓のおいしさは静岡の技術に守られているのでした。

豊臣勢食い止める「土塁」の役割も?薩摩土手
 静岡市葵区の駿府城公園から北西に数キロ。住宅街が広がる地域に突然「土手」が現れます。桜が植えられ、春には花見の名所にもなっている「薩摩土手」です。「駿府御囲堤」とも呼ばれ、長さ4キロ、高さが5.4メートルほどあります。徳川家康が駿府城の拡張工事を行っていたころは安倍川がたびたび氾濫し城の近くまで水が迫る危険があり、1606(慶長11)年ころから、川の流れを変えるための堤を作らせたと伝えられています。

 この工事を担当したのが薩摩藩の島津氏だったとされているため「薩摩土手」の名前で知られています。この薩摩土手はいまでも国交省により管理され「控堤」として機能するように整備されています。また、土手の近くの道は「さつま通り」と呼ばれ親しまれています。

さつま通りの道路標識

 工事は水防が目的とされていますが、歴史学者の小和田哲男さんは「家康は、大阪の豊臣勢が江戸に向けて進んで来た場合、駿府で迎え打つシナリオも考えていたはず。薩摩堤は『土塁』としての役割もあったのではないか」と分析しています。

水防だけでなく豊臣勢を食い止める役割も?

 これだけ共通点の多い2県ですが、もちろんそれぞれ独特の文化と歴史、グルメなどが豊富な土地でもあります。現在、富士山静岡空港から直行便が就航中。次の旅行の目的地に 鹿児島県を選んでみてはいかがですか。 

「あしたを“ちょっと”幸せに ヒントはきょうのニュースから」をコンセプトに、静岡県内でその日起きた出来事を詳しく、わかりやすく、そして、丁寧にお伝えするニュース番組です。月〜金18:15OA

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