府中(現在の静岡市)で生まれたとされる戯作者・十返舎一九による1802年出版のベストセラーが、現代の漫画技法で表現されている。
折に触れて歌川広重の浮世絵木版画「東海道五十三次」からインスパイアされた風景描写があるのが楽しい。「五十三次」保永堂版(1833年)は、「膝栗毛」の爆発的ヒットに目を付けた版元が企画しており、弥次喜多の二人が見た風景とも、大きく違わないのではないか。
静岡県民なら誰でも違和感を抱く「蒲原夜之雪」の雪景色には、きちんと突っ込みを入れているのがおかしい。「さては広重って野郎 この絵を想像で描きやがったな」「さっさと現実世界へ戻ろうぜ」とやり取りしていて、極めてスマートな、静岡県民ならではのメタ表現だと感じた。
弥次喜多道中の合間に、一九自身の伝記が差し挟まれている構成も楽しい。「膝栗毛」の発刊を持ちかける一九に、版元栄邑堂(えいゆうどう)店主は言う。「仇うちもんとか 恋愛もんとか 書けねえかね」「お涙頂戴が一番売れるんでね」。これも、現代のドラマ作りの現場で実際に交わされていそうな会話である。
江戸時代のフィクション、それを書いた戯作者の歩み、その二つを読んでいる現代の読者。この三層構造をきちっと認識できる点こそ、本作の美点だろう。(は)