論説委員 川内十郎
かわうち・じゅうろう 1962年、牧之原市(旧榛原町)生まれ。1986年入社。大仁支局、御殿場支局、東部総局などを経て、東京支社編集部長、社会部長、文化生活部長などを歴任、2021年4月から論説室。教育取材がライフワーク。趣味はフライフィッシング、ギター、フルート。
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時論(4月7日)図書館がまちを変える
静岡県教委の取材を担当して以来交流があり、県教育長や県立中央図書館長を歴任した鈴木善彦さんから先日、一冊の本を手渡された。 タイトルは「牧之原『いこっと』誕生物語―民と官で開いた図書館の記録―」。牧之原市は私の故郷。そして「いこっと」は3年前、その地の官民複合施設内にオープンした市立図書交流館。本は新図書館開館に向け、市図書館協議会長として民の立場で中心的に関わってきた鈴木さんと、市の図書館司書として行政実務の先頭に立ってきた水野秀信さんの共著だ。 「いこっと」については、鈴木さんから度々話を聞いていた。カフェやボルダリング施設などが出店した民間エリアとの境界が仕切られてない県内唯一の図
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時論(3月9日)「第九」の精神、今こそ
「全ての人々は兄弟となる」。ベートーベンの交響曲「第九」に込められたメッセージだ。合唱が加わる第4楽章の歌詞に登場する。このメッセージを体現し、第九の普遍性を改めて実感させられる演奏が先月、オーストリア・ウィーンであった。 聴覚や視覚に障害のある子どもたちが参加する日本の合唱団「ホワイトハンドコーラスNIPPON」が、国際会議の場で「第九」を披露した。合唱団は、声を出して歌う「声[こえ]隊」と、白い手袋をして「手歌[しゅか]」を担当する「サイン隊」で構成する。声隊はドイツ語で歌い、サイン隊も手話や表情、体全体で「歓喜の歌」を表現、躍動感あるパフォーマンスに大きな拍手が送られた。 ベートー
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時論(2月11日)障害の前に伝えるべきこと
取材で知り合い、お付き合いさせていただいている三島市在住の和太鼓奏者片岡亮太さんは毎月、近況報告を交えたニュースレターをメールで送ってくれる。最新号には「障害アフター運動」と題するコラムが添えられていた。 片岡さんは10歳の時に網膜剝離で視力を失った。マスコミなどでは「全盲の和太鼓奏者」と紹介されることが多い。私もこれまで片岡さんを取り上げる時、特に意識することなくそう書いてきた。 コラムでは、演奏者であることの前に、「全盲の」と障害者であることが真っ先に伝えられることへの違和感がつづられていた。自分が能動的に手にした肩書よりも、付帯的状況が先に語られてしまう。そんな「長年の歯がゆさ」を
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時論(1月14日)ハンセン病隔離の歴史刻む歌
人々が長く記憶にとどめる歌の一つに学びやでの校歌がある。同じように全国のハンセン病療養所で、行事などの際に歌われ、入所者の心に深く刻まれる「園歌」というものが存在していることを、シンガー・ソングライター、沢知恵さんの近著「うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史 園歌はうたう」(岩波書店)で知った。 沢さんはハンセン病療養所の音楽文化の調査研究をライフワークとし、療養所でのコンサートも定期的に開いている。全国13の国立療養所に残る「園歌」の歴史や特徴を資料や入所者への聞き取りなどを基に調べ、同書にまとめた。 本の中で衝撃を受けたのは、「民族浄化」や「一大家族」など、国の強制隔離政策を色濃く反映
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時論(12月3日)博物館に見た文化政策の貧困
国立科学博物館(東京・上野)が新型コロナ流行などによる資金繰り悪化を受けて行ったクラウドファンディング(CF)は、約5万7千人から約9億2千万円が集まった。金額と支援者数は、国内CFでは過去最多だったという。 オリジナルの図鑑や普段入れない収蔵庫ツアーなど返礼品の魅力はあったにせよ、多くの人が科博に関心を寄せ、当面の危機を回避したことは大きな成果だ。だが、ここで浮き彫りになった国立の施設でさえ財政的に窮地に陥り、市民の支援に頼らざるを得ない現実は、国の文化政策の貧困さを改めて露呈させたと言える。 1877年創立の科博は約500万点に上る標本や資料を収集、保存する、日本で最も歴史のある博物
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時論(11月12日)みんなで子どもを支えないか
子どもだけの留守番などを放置による虐待と定める埼玉県虐待禁止条例の改正案が同県議会に提出されたものの、子育て世代などから「負担が大きくなる」との批判が殺到し、提出した自民党埼玉県議団は撤回に追い込まれた。 滋賀県では東近江市長が「フリースクールは国家の根幹を崩してしまうことになりかねない」「不登校の大半の責任が親にある」などと発言し、批判の声が広がった。 いずれも実態把握や配慮を欠く内容で、批判は当然と言える。今回の改正案や発言から見えるのは、子育ての責任についての、家庭への過度な押し付けだ。日常的に大変な思いをしている保護者や子どもたちを、さらに追い詰めることになるという想像力は働かな
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時論(10月8日)老いには大きな意味がある
生物学者、小林武彦さんの近著「なぜヒトだけが老いるのか」(講談社)によると、野生の生き物は基本的に老化せず、生殖能力を失えば、いわゆる「ピンピンコロリ」。生物学的に見れば、人生の40%は「老後」なのだそうだ。 そして、この長い老後は進化の過程で、ヒトが「獲得」したものだと説く。ここで興味深かったのが、本の中で紹介される「おばあちゃん仮説」だ。 生後間もないゴリラは母親の体毛をつかんでしがみつくことができ、母親は両手を自由に使えるが、長い体毛を失ったヒトは赤ちゃんを両手で抱っこしなければならない。そこで、手間がかかる子育ての“救世主”であるおばあちゃんが元気で長生き
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時論(9月10日)「普通の人」が狂気に走る時
関東大震災から100年の9月1日、静岡市内のミニシアターで、その日封切られた「福田村事件」を見た。震災の5日後、千葉の福田村(現野田市)に立ち寄った香川からの薬の行商団が朝鮮人と疑われ、一行15人のうち幼児や妊婦を含む9人が村人に殺された史実に基づく劇映画だ。事件は長い間、歴史の闇に埋もれていた。 震災直後、「朝鮮人が暴動を起こす」「井戸に毒を入れた」など、流言飛語が広がった。当時、日本は朝鮮半島を植民地支配し、背景には抵抗運動に対する恐怖や民族差別があったとされる。村人は一行が聞き慣れない讃岐弁で話していたことから朝鮮人と決めつけ、悲劇を生んだ。 虐殺に加担した自警団をはじめ村人一人一
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時論(8月13日)ブリは救世主となるか
地球温暖化に伴う海水温上昇の影響で、国内の漁獲に変化が起きている。その代表格がブリだ。暖水系の魚であるブリが東北や北海道で多く水揚げされるようになり、日本全体でも資源量が増えている。 国の統計では、2022年の魚介類の養殖を含む漁獲量は前年比7・5%減の約386万トン。比較可能な1956年以降で最低を更新した。温暖化などによる海洋環境の変化は、全体的には多くの魚種で不漁をもたらしている。 こうした状況の中、ブリへの注目度が高まり、成長につれて呼び名が変わる出世魚がさらに“出世”したようだ。水産や水産加工業界の救世主となるか。取れる魚を有効活用し、消費者にも積極的に
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時論(7月9日)子どもの命 守ってこそ学校だ
東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の裁判を巡るドキュメンタリー映画「『生きる』大川小学校津波裁判を闘った人たち」を先月、静岡市内のミニシアターで見た。 映画の中で遺族が語った、裁判官が言ったとされる「学校が子どもの命の最期の場所であってはならない」の言葉は重たい。子どもの命を守ってこその学校だという大原則を、改めて胸に刻んだ。 大川小では、一部児童の遺族が学校側の対応に過失があったなどとして市と県を提訴。2019年に事前防災の不備を認める仙台高裁判決が確定した。遺族らを突き動かしたのは、「なぜ、子どもたちは地震発生から50分もの間、校庭に留め置かれ
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時論(5月14日)小ネタで地域の希望創生を
「KNT理論」というものを日本学術会議が編集協力する月刊誌で知った。KNTは小ネタ(KONETA)の頭文字。東大社会科学研究所の玄田有史教授らが提唱する「人口が減っても、地域はそう簡単になくならない。だが、小ネタが尽きると、あっという間に地域は衰退していく」との仮説だ。 地域の小ネタとは何か。玄田教授は「地域の日常のなかにある身近な話題であると同時に、歴史、社会、文化、慣習などのエッセンスが凝縮されている」と説明する。 要は、「こんな話、知ってる?」とつい他人に話したくなるような、地域の「ちょっといい話」ということだろう。それが地域の再生に欠かせない「対話」を生み、内外の交流を持続させる
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時論(4月23日)やっぱり生の公演はいい
マスクを外し、舞台で思いっきり歌うことができる喜びが、その声に、全身に、あふれていた。会場を包み込む澄んだハーモニーに身を委ねながら、「やっぱり生はいい」と改めて実感した。 今月上旬、静岡市内で開かれた静岡児童合唱団の創立80周年記念演奏会。第2部ではSPAC俳優の阿部一徳さんやバリトン歌手の酒井雄一さんとの共演で、モーツァルトの歌劇「魔笛」に挑んだ。 新型コロナの感染拡大以降、同合唱団にとってマスクなしで歌う初の演奏会だった。コロナ禍の3年余り、新入団員を迎えられず、定期演奏会も中止になるなど厳しい状況にさらされてきた。 そして新たな思いで迎えた節目の舞台。意欲的なプログラムと表情豊
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時論(3月26日)子どもの「科学の芽」育てたい
先日、旧相良町出身でTDK社長などを務めた故山崎貞一さんが設立した財団による「山崎賞」の授賞式に出席する機会があった。小中高生や教員による自然科学分野の優れた研究成果をたたえる賞。防災やSDGsなど現代社会の課題を扱った研究もあり、その熱意と専門性の高さに目を見張った。 注目論文数ランキングの低迷など、世界の中で日本の研究力は退潮傾向が続く。大学院博士課程の学生への経済的支援の拡充や若手研究者の不安定な雇用環境の解消などは急務だ。同時に子どもたちの「科学の芽」を育てることは、日本が将来にわたって国際競争力や多様化する社会課題に立ち向かう力を維持するために不可欠といえる。 リチウムイオン電
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時論(2月27日)市民オペラを地域の文化に
大学時代、男声合唱のサークルに入っていた縁で神奈川県の藤沢市民オペラに出演したことがある。演目はロッシーニ作曲「ウィリアム・テル」。その他大勢の「住民」役だったが、高揚感は格別だった。同時に、舞台にかける市民の熱気を肌で感じた。 市民オペラは、一般市民が関わって上演する、欧米のようなプロを抱える専用の歌劇場を長年持たなかった日本固有の文化とされる。藤沢市民オペラはその嚆矢[こうし]で、1973年の最初の公演から、今年で半世紀を迎える。 出演者数や制作体制はもちろん、予算規模も大がかりなオペラを、地域住民主体でいかに実現し、根付かせるか。来年は浜松市民オペラが9年ぶりに上演される。ほかの自
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時論(12月25日)指揮者とオケ“炎の交歓”
指揮者の小林研一郎さんと先月、40年ぶりに言葉を交わした。大学時代、グリークラブの名を持つ男声合唱団に入っていて、小林さんの指揮で「縄文」という曲を歌った。その時以来だ。 小林さんは「コバケン」のタグが付いたキャリーバッグを手に静岡市民文化会館のロビーに姿を見せた。静岡フィルハーモニー管弦楽団との稽古前のひととき。本番を5日後に控えていた。 情熱的な指揮ぶりから「炎のコバケン」と呼ばれる小林さん。「指揮者の炎がオケを鼓舞し、そのエネルギーを小林さんが受け取る。キャッチボールの繰り返しで双方の炎はますます燃え盛るんですね」と話したら、強くうなずいてくれた。 稽古に立ち会い、音のうねりに身
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時論(11月27日)登園管理の徹底で命を守れ
幼い子どもが犠牲となる悲劇が、また起きてしまった。大阪府岸和田市で今月、父親が保育所に預けたと思い込んだ2歳の女児が車内に取り残され、熱中症で死亡した。 無断欠席の場合、職員が電話で状況を確認するのがルールだったが、当日登園していないことを親に連絡していなかった。別の保護者対応が重なり、電話できなかったという。市の担当者は適切に対応していれば死を防げた可能性があったとの認識を示し、小倉将信こども政策担当相も「保育所が所在確認をしていれば命を救えた。保育所の責任は重い」と述べた。 乗用車と送迎バスの違いはあるが、牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」で女児が車内に置き去りにされ死亡した事件で
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時論(10月16日)豪雨被害、川自体にも目を
泥水といっていい濁流、根をむき出しにして倒れている多くの大木、上流部から転がってきたとみられる巨岩…。川のあまりの変わりように言葉を失った。生命感がない、痛々しい姿に胸をかきむしられるようだった。 台風15号に伴う豪雨から半月ほどたった今月上旬、静岡市内を流れる安倍、藁科、興津の3河川の状況を下流から上流部まで、車で移動しながら1日かけて見て回った。被害は想像以上だった。水量は平時に戻りつつあったが、清流の面影はない。特に、興津川と藁科川の状況が深刻だと感じた。 アユ釣りの名川として知られる興津川。漁協は今後の産卵期に影響が出るのは確実で、親アユを放流しても効果があるかは未
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時論(9月11日)表現者たちの戦争伝承
太平洋戦争を体験した人が減り続け、表現者たちも戦争を作品の題材にしたり、演目にしたりするなどして、伝承の一翼を担っている。受け手は、そこに作り手や演者の解釈や意図が少なからず入っていることを、前提として意識する必要がある。その上で、表現物に接することは、戦争を理解する入り口になり得ると心にとどめたい。 この夏、静岡市内のミニシアターで見た一本のドキュメンタリー映画が記憶に残った。伊勢真一監督が、戦時中にインドネシアで国策映画を手掛けた記録映画編集者の父、伊勢長之助の足跡を追った「いまはむかし―父・ジャワ・幻のフィルム」だ。 長之助は当時、日本が占領していたインドネシアに「文化戦線」の一員
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時論(8月13日)戦争画 多角的な分析を
手元に戦時中発刊された大判の図録が4冊ある。「大東亜戦争 陸軍作戦記録画」「海軍美術」「大東亜戦争 海軍美術」「聖戦美術」。いずれも軍部の主導で画家が従軍するなどして描いた、いわゆる「戦争画」が集められている。一連の絵画は戦意高揚などが目的で、当時、全国で巡回展が開かれ多くの人が足を運んだ。 今夏、親族の一人が「実家で見つけた」と知らせてくれた。保存状態は良く、色鮮やかで生々しさも感じる。戦闘の様子のほか、慰問袋を作るなど「銃後」も描かれる。作者には藤田嗣治や小磯良平など画壇の巨匠も名を連ねる。 戦争画は戦後、画家の戦争責任が問われる中で長年、美術界でタブー視されてきた。中心的存在だった
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時論(8月1日)斎藤秀雄 最後の指揮
毎年夏になると、この偶然を思い出す。1974年8月、家族旅行で泊まった長野県・志賀高原の旅館で、小澤征爾ら世界的に活躍する音楽家を育てたチェリスト、指揮者の斎藤秀雄が、最後に現場で教える姿に行き会った。 旅館では桐朋学園のオーケストラが米国ツアーを前に合宿していた。オケの前に、ついたてを隔てて横たわる斎藤。時折演奏が中断すると、“伝令”が斎藤の指示を、けいこをつけるまな弟子の指揮者・秋山和慶に伝えていた。 伏線がある。旅行の半月ほど前、秋山指揮のN響の演奏を当時の清水市民会館で聴いていた。小学6年だった自分にとって、最初の関心は「あの時の指揮者と旅先で会った」とい