卓球・水谷 27年の競技人生に幕
「自分の冒険はここまで」ー。卓球の水谷隼選手(磐田市出身)が現役引退の意向を表明しました。東京五輪混合ダブルスで日本勢初の「金」、2大会連続のメダルとなる男子団体の「銅」を置き土産に、後輩に思いを託しました。数々の日本初をもたらした卓球界のレジェンド。軌跡を振り返ります。
〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・尾原崇也〉
4大会連続出場 五輪の怖さ知る水谷、チームをけん引 「中国超え」後輩に託す
「最後」と決めた五輪に臨んだ卓球男子代表の水谷隼(32)=木下グループ、磐田市出身=が27年の競技人生で培った全ての力を出し切った。6日、東京体育館で行われた東京五輪男子団体の韓国との3位決定戦で、ダブルスとシングルスで2勝を挙げ、銅メダル獲得に貢献。混合ダブルス金メダルに続く大会二つ目のメダルで、有終の美を飾った。
準々決勝から見違えるように動きが良くなった張本。準決勝はシングルスで2勝、3位決定戦もエース対決を制した張本に対し、水谷は「エースにふさわしいプレーをしてくれた。彼なら十分今の日本を引っ張ってくれる」と将来を託した。
2008年北京から4大会連続の五輪出場。期待されたロンドン五輪で結果が残せず、初の団体銀メダルを獲得した女子の人気とは対照的に、男子にスポットライトが当たることはなかった。卓球の高速化が進み、台から離れて守備的にプレーする水谷のスタイルでは対応できなくなった。全日本選手権では2年連続で年下に苦杯を喫し、世代交代もささやかれた。
リオデジャネイロ五輪に向けて、思い切って戦い方を変えた。前陣に張り付いて攻める。これまでとは対照的なスタイルで、不得手だったバックハンドのチキータレシーブもものにした。そして成し遂げたリオでの団体銀と個人銅メダル。続く東京での混合ダブルス金、団体銅メダル。「日本が世界と戦える環境が整ってきた。もっともっと努力すれば、必ず中国を超えてくれると信じている」と肩の荷を下ろした。
〈2021.8.7 あなたの静岡新聞〉
「卓球で生きていく」 中学2年で覚悟、ドイツのプロリーグ参戦 甘えそぎ落とす
卓球男子代表の水谷隼(32)=木下グループ、磐田市出身=が最後と決めた五輪の舞台で唯一無二の存在感を放っている。26日、東京五輪で新種目となった混合ダブルスで同郷の伊藤美誠(20)=スターツ=とともに金メダルを獲得。日本卓球界をけん引し続けてきた開拓者が、競技人生27年目の集大成で新たな偉業を成し遂げた。
日本卓球協会から、将来性あふれる逸材に、ドイツ行きの勧めが最初にあったのは小6の時。母万記子さんは当時をこう振り返る。「今のように情報がない時代。他の子とどう違うのかも分からない。卓球で生きていくということが現実として見えなかった」。中2で2度目の打診を受け「ここで断ったらチャンスがなくなってしまうかもしれない」と迷いの中で決断した。
当時、ヤマハの卓球クラブで水谷を指導していた今福護さん(65)=浜松修学舎中・高卓球部総監督=も、両親から相談を受けたという。「10年に一人の逸材」と才能を高く評価していた今福さん。「ダイヤも磨かなければ光らない」と渡独を後押しした。
14歳でスタートした卓球漬けの日々。プロの世界でもまれ、強固な意志と自主性を培った。17歳で日本の頂点に立った後も、中国やロシアへ自ら武者修行に飛び込み、甘えをそぎ落とした。「普通の中学、高校生活が送れなかったことは心残り。でも勝つためには必要だった。失った部分があるからこそ得たものがたくさんある」
〈2021.7.27 あなたの静岡新聞〉
5歳で競技開始 小学生ですでに頭角 全日本選手権優勝
卓球の第十八回県スポーツ少年団交流大会(県卓球スポーツ少年団指導者協議会主催、静岡新聞社・SBS静岡放送後援)が二十六日(※2000年2月26日)、静岡市の県営草薙体育館で行われ、団体はぬまたくクラブが初めて男女とも制した。個人は、男子カブの部で昨年の全日本選手権を制した水谷隼選手(豊田町)が優勝、女子バンビの部では妹の茉央選手が頂点に立った。
〈2000.2.27 静岡新聞朝刊〉
■小学5年で東アジア選手権に出場
卓球の東アジアグランプリホープス(小学校六年以下)選手権に日本代表として出場する水谷隼君(磐田北小五年、豊田町卓球スポーツ少年団)の激励会が十七日夜(※2000年8月17日)、豊田町のアミューズ豊田で開かれた。
同選手権は今月二十一、二十二の両日、韓国・済州島で行われる。水谷君は五月末に行われた日本代表選考会で、代表の座を勝ち取った。サウスポーで、身長約一四〇センチと小柄ながら「センスは抜群」(豊田町卓球指導員の大橋寛二さん)という。
激励会では、同町体協会長の鈴木康之さんが「日の丸を背負って戦うのは大変ですが、楽しんできてください」とあいさつ。卓球仲間の市川未路君(豊田北部小六年)が「優勝を目指して頑張って」と励ました。
水谷君は「いい成績を納められるよう頑張りたい」と話し、スポ少後輩の高岡美世さん(浜松城北小一年)から花束を受けた。二十日に韓国入りし、本番に臨む。
〈2000.8.19 静岡新聞朝刊〉
リオ五輪で個人初のメダル 歴史動かした息子に両親 「頑張れば夢つかめると示した」
歴史を動かした息子の姿に万感の思いがこみ上げた。11日(日本時間12日)(※2016年8月12日)に行われたリオデジャネイロ五輪の卓球男子シングルス3位決定戦で、日本人の個人では初となる悲願のメダルを獲得した水谷隼選手(27)=ビーコン・ラボ、磐田市出身=。「おめでとう」。勝利の瞬間、スタンドでは父信雄さん(56)と母万記子さん(54)も歓喜に酔いしれた。
ゲームの序盤は水谷選手が優勢に進めたものの、その中で信雄さんが「あそこをとれたのが大きかった」と振り返ったのが第2ゲーム。1―4となって相手に流れがいきそうな局面で水谷選手が連続5得点で逆転すると、信雄さんは「いけそうだ」と感じたという。
表彰式で銅メダルをかけられた誇らしげな水谷選手を間近にして、万記子さんは「本当に夢がかなってよかったね」と祝福。信雄さんは「夢のような気分」と喜びに浸った。
水谷選手の原点でもある古里の豊田町卓球スポーツ少年団では、信雄さんと万記子さんの指導を受けて小中学生が練習に励む。未来の五輪を目指す後輩に最高の手土産を持ち帰る息子を、信雄さんは「頑張れば夢をつかめることを示してくれた」とたたえた。
〈2016.8.12 静岡新聞夕刊〉
■全日本卓球選手権では歴代最多、男子シングルス10度の優勝
〈2017.1.23 静岡新聞朝刊〉