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戦後76年 静岡の夏

 もうすぐ「終戦の日」の8月15日を迎えます。広島の平和記念式典に静岡県代表として参列した被爆2世の女性の思いをはじめ、静岡と関係する戦後76年の話題をご紹介します。
 〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・尾原崇也〉

被爆2世、焦りと覚悟と 磐田の磯部さん 広島平和記念式典に出席

 悲惨な過去は繰り返すまい-。広島は6日、原爆投下から76年を迎えた。あの日の地獄と怒り。同じ目に遭わせてはならないと被爆者は体験を語り継ぐ。核兵器禁止条約が発効して初めての平和記念式典。遺族らは静かに手を合わせ、核なき世界の実現を願った。「多くの犠牲の上に今がある」。静岡県内の被爆2世や子どもたちは、被爆者の思いを次世代につなぐと宣言した。

慰霊碑の前で手を合わせる磯部典子さん=6日午前、広島市の平和記念公園
慰霊碑の前で手を合わせる磯部典子さん=6日午前、広島市の平和記念公園
 ■命の限り 父は平和訴えた 静岡県遺族代表磯部さん「高齢化、心一つに」
 広島市平和記念公園で行われた式典には、静岡県の被爆者や遺族を代表して磐田市の磯部典子さん(70)が出席した。県内被爆2世団体の会員で、父親の被爆体験の伝承に力を注ぐが、近年は2世も高齢化が進み、記憶の継承に危機感を募らせる。
 2010年に亡くなった父杉山秀夫さん=享年(87)=は1945年8月6日、出張中に広島市で被爆した。戦後は静岡県原水爆被害者の会を創立し、被爆者への支援や核兵器廃絶を訴えた。晩年はがんを発症しながら、「8月になると、車椅子で広島に行こうとしていた」と磯部さんは思い起こす。
 磯部さんは2017年、県原水爆被害者の会の2世部会を結成した。2世部会が県に要望し、18年に実現したのが被爆2世の健康記録帳の発行だ。
 放射線の影響の調査研究として、被爆者だけでなく、2世も毎年2回の健康診断を無料で受診できる。被爆者健康手帳のように医療費の自己負担分の免除などの恩恵はないが、親の被爆事実の継承や2世の健康管理に役立てようと全国に先駆けて県に導入を求めた。
 国は20年、静岡県などの先行事例を踏まえ、2世向けの健康記録簿のひな型を全国の自治体に示した。磯部さんは「援護策の実現のためにも、2世が団体としてまとまることが重要」と強調する。
 一方、県内の2世健康診断の対象者は400人程度だが、2世部会の会員は20人ほどにとどまっている。会の運営に尽力した仲間も年齢を重ね、亡くなる人も出てきた。
 父親の被爆体験を伝えてきた磯部さんも、2年前に心臓の手術を受けた。近年は証言者として十分に活動できていないもどかしさを感じている。それでも「原爆を風化させない、絶対に繰り返さない。父の体験を語り継ぐ義務が私にはある」と76回目の原爆の日に、決意を新たにした。
 〈2021.8.6 静岡新聞夕刊〉

伊東の82歳男性 被爆認定やっと 2度却下後、今春手帳交付 「長い闘い報われた」

 1945年8月に広島、長崎両市に投下された原子爆弾の被爆者証明として都道府県と両市が交付する被爆者健康手帳。戦後76年を迎える現在も交付を求める人がいる。被爆時の所在や行動の客観的な証明が困難なため、申請が却下される例は多い。静岡県の男性が今年、2度の却下を経て、念願の手帳の交付を受けた。

自身の手帳を見せる大和忠雄さん=7月下旬、浜松市中区
自身の手帳を見せる大和忠雄さん=7月下旬、浜松市中区
 被爆者認定されたのは伊東市の樺山公一さん(82)。父親の仕事の関係で45年4月に現在の広島市西区に移り住み、被爆した。やけどを負った父親は翌年に病気で死亡し、母親は家財を売りながら子ども3人を養った。
 樺山さんは関東地方で暮らし、会社を退職後の2000年に伊東市に移った。手帳の申請は、「広島にいた当時の状況を示す資料や証人のつてがない」とあきらめ掛けていた。
 転機は約7年前。父の広島転勤を記録した資料があることが分かった。偶然に出会った広島の被爆者からは「被爆の証人となり得る人が少なくなり、手帳の審査が柔軟になっている」と耳にした。
 「原爆で生活が一変した。被爆者と認めてほしい」。2015年、静岡県に最初の申請をした。しかし、投下時の所在や行動が「客観的に確認できない」と認められなかった。
 申請に役立てようと、当時の住居付近に住む被爆者と会った。防空壕(ごう)に逃げた記憶を話すと、「被爆者しか知り得ない体験」と言ってくれた。そんな証言を添え、19年に2回目の申請をしたが、県は再び却下した。「はらわたが煮えくり返る思いだった」。
 却下の取り消しを求めて厚生労働省に審査請求した。被爆時の説明の具体性などが評価され、今年4月に手帳が届いた。「長く苦しい闘いがようやく報われた」と樺山さん。安堵(あんど)の気持ちとともに、被爆者として8月6日を迎える。
 ■今になって申請 背景に差別、偏見か
 被爆者健康手帳を指定の医療機関で示すと、診察や治療が無料になり、一定の病気にかかると手当が支給される。県によると、直近5年間のうち、数件の交付申請を受けた年もあるという。原爆投下から76年を迎える現在も申請者がいる背景には、差別や偏見を恐れ、被爆経験を明かせなかった人が多いためとみられる。
 県原水爆被害者の会の顧問大和忠雄さん(81)=浜松市中区=は出身地の広島市と比較し、「静岡県は周囲に被爆を明かしていない人が多くて驚いた」。妻に伝えていない男性もいたという。「就職や結婚に影響したら嫌だと、そういう時代があった。被爆者の高齢化が年々進み、家族構成や経済状況の変化を受けて申請に至る人もいるのでは」と推測する。
 6月末時点で、静岡県の手帳所持者数は425人、平均年齢は83・2歳という。
〈2021.8.6 あなたの静岡新聞〉 ⇒元記事

13歳で被爆、核廃絶訴えるサーロー節子さん追った映画 浜松で上映

 広島市出身、カナダ在住の被爆者で、核兵器の廃絶を訴えるサーロー節子さん(89)のドキュメンタリー映画上映が6日から、浜松市中区の「浜松市民映画館 シネマイーラ」で始まる。同館によると、静岡県内での上映は初めて。核兵器禁止条約が1月に発効してから最初の広島原爆の日を迎えるにあたり、館主の榎本雅之さん(68)は「戦争や原爆について、改めて考える機会になれば」と願う。

サーロー節子さんの映画を紹介する榎本雅之さん=浜松市中区の「浜松市民映画館 シネマイーラ」
サーロー節子さんの映画を紹介する榎本雅之さん=浜松市中区の「浜松市民映画館 シネマイーラ」
 作品は「ヒロシマへの誓い-サーロー節子とともに」(2019年、スーザン・ストリックラー監督)。サーローさんの人生を振り返り、核廃絶に力を注ぐ原点を伝えている。
 13歳の時に広島市内で被爆したサーローさんは結婚を機にカナダに移り、世界各地で被爆体験を語っている。共に活動してきた非政府組織の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が17年にノーベル平和賞を受賞した際の式典で演説し、国内外で関心が高まった。
 シネマイーラは昨年8月も、「おかあさんの被爆ピアノ」など原爆や戦争がテーマの作品を上映した。榎本さんは「戦争映画は恋愛やアニメに比べて人気がなく興行的には厳しい」と明かす。新型コロナウイルスの影響で苦しい経営が続く中、それでも上映を決めたのは「見たいものだけを見る社会」への危機感があるからだ。
 近年は制作会社の予算の都合などもあり、戦争関連の新作は少ない。榎本さんは「原爆投下や終戦の時期に、当時を思い起こすことは大切だと思う。ミニシアターの特色を失わず、社会問題に関心のある市民の期待に応えたい」と強調する。
 上映は12日まで。問い合わせは同館<電053(489)5539>へ。
〈2021.8.4 あなたの静岡新聞〉 ⇒元記事

平和の輪 高校生の手で 島田の実行委員会、8人奮闘 島田空襲の記憶 若者に伝える

 島田市平和祈念事業実行委員会にことし、市内の高校生8人が加わり、島田空襲に関連した慰霊の集いや戦没者追悼行事の企画・運営を行っている。「若い世代に戦争の記憶を伝えたい」と七夕を題材に平和を願うメッセージを集めるプロジェクトも進め、15日の市平和祈念式典で披露する予定だ。

「平和七夕」と題し、市民が短冊に平和への願いを書くプロジェクトを進める高校生委員(右側)=7月末、島田市内
「平和七夕」と題し、市民が短冊に平和への願いを書くプロジェクトを進める高校生委員(右側)=7月末、島田市内
 高校生委員は公募で集まった島田商、島田工、島田樟誠の8人。世代を問わず参加しやすい行事として、市内では旧暦で行う七夕にちなんだ「平和七夕」を考案した。7月末には中心部で行われたマルシェに出展し、親子連れらに短冊への記入を呼び掛けた。
 8人は遺族会のメンバーから体験談を聞き、長崎型原爆の模擬爆弾(通称・パンプキン)が投下された島田空襲についても学んだ。大石千尋さん(島田樟誠2年)は「祖父母の世代が『戦争はだめ、危険』と教えてくれるからこそ今の平和があると実感した」。久保田海愛さん(島田商3年)は「委員になるまで原爆は遠い話と思っていた。それぞれの心の中にある『平和』を皆で共有したい」と話し、同世代の友人や家族に短冊への記入を呼び掛けている。
 7月26日に島田空襲の爆心地・扇町で行われた被爆者慰霊の集いでは運営側として司会進行や献花に携わり、島田工高情報電子科の生徒がライブ配信を行うなど新たな情報発信の形も取り入れた。47人超とされる犠牲者の遺族や当時を知る関係者は年々減り、扇町町内会長の原田慶一さん(69)は「行事への遺族の出席も難しくなってきている。若い世代の参加はとても心強い」と感謝する。
 実行委事務局の市民協働課の担当者は「高校生委員を通じて、島田空襲を知らない若い世代に歴史を伝え継ぐきっかけにしたい」と話す。完成した「平和七夕」の飾りは13~16日にプラザおおるり内で展示し、15日の式典の様子は市公式ユーチューブでライブ配信する予定。
〈2021.8.6 あなたの静岡新聞〉 ⇒元記事
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