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育休中の「リスキリング」 育児と仕事の両立、支援のあり方は

 育児休業中の人などの「学び直し」(リスキリング)を巡り、議論が起こっています。育児の実態や産後女性の心身のつらさを軽視しているという批判がある一方、復職後を見据えて学び直しを希望する人たちも。リスキリングの議論は育休や保育の制度、産後の女性のキャリアなど、幅広い問題を含んでいます。一連の議論をまとめました。

育休中のリスキリング どう考えますか

 

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 岸田文雄首相が国会で、育児休業中の人などのリスキリング(学び直し)を支援する考えを示し、賛否両論が巻き起こりました。育児の実態や産後女性の心身のつらさを軽視しているという批判がSNSにあふれる一方、復職後を見据えて学び直しを希望する人たちもいます。育休中のリスキリング、あなたはどう考えますか。(教育文化部・鈴木美晴)

「睡眠時間すらない」 批判噴出
 「上司に妊娠の報告をしたら『おめでとう』ではなく、『育休中に勉強しておいてね』と言われた。育児の大変さを知った今思い出すと、腹立たしい気持ちになる」
 静岡市内の親子イベントに参加していた同市の20代女性はそう切り出し、育休中の生活を語ってくれた。
 授乳は1日10回。長男は寝付きが悪く、寝かしつけに3時間以上かかる日も。乳房が腫れて高熱が出る乳腺炎や、抱っこの負担によるぎっくり腰など、産後は自身の不調にも頻繁に悩まされている。夫が激務で育児への参加を満足に得られず、家事の時間捻出にも苦労する。
 「気の休まる時間なんてない」「明日も明後日も休日なんてこない」―。スマートフォンの育児日記には、誰にも打ち明けられない心の叫びが並ぶ。「育休中の学び直しなんて、子育てしたことのない人の発想としか思えない」
 同イベントに参加した他の育休中の女性たちからも「赤ちゃんの時くらい育児に専念させて」「寝る時間すらないのにいつ勉強するのか」など、批判が噴出した。一方、産後すぐに自営業で復職したという女性は「子どもを実家に預けて数時間働いて気分転換になった。人によるとは思うが、学び直しもアリかも」と肯定的な見方を示した。

「希望者後押し」首相釈明
 論争の発端は1月27日の参院本会議。自民党の大家敏志氏が、リスキリングと産休育休を結びつけて支援を行う企業に対し、国が支援を行う政策を提案した。岸田首相は「育児中などさまざまな状況にあっても主体的に学び直しに取り組む方々をしっかり後押しする」と答弁した。
 これに対し、批判が相次いだ。同月30日の衆院予算委員会では自民党の鈴木貴子氏が「『それ本気で言っているの』という反応が相次いだ」と、立憲民主党の山井和則氏は「認識がズレすぎている」とただした。
 岸田首相は「産後の状況の中で、さらにさまざまな取り組みを行うということは大変難しいと十分に認識している」と釈明。その上で「あらゆるライフステージにおいて本人が学び直しを希望した場合には、しっかり後押しできる環境整備が重要」と述べた。
 検索需要を調べるツール「グーグルトレンド」では首相が釈明を重ねた同日、「リスキリング」という単語が、検索数が増えた「急上昇ワード」となり関心の高さがうかがえた。

育休取得率、過ごし方に課題

 
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育休中の女性がアプリに残した日記。子育ての大変さがつづられている

 育休を巡っては、取得率の男女差や過ごし方も課題となっている。
 厚生労働省の雇用均等基本調査によると、2021年度の育休の取得率は女性が85.1%、男性が13.97%。男性の取得率は近年、上昇傾向にあるものの、女性に比べて低水準にとどまっている。取得期間も、女性の9割超は6カ月以上だが、男性の約5割は2週間未満と差が大きい。
 妊娠・出産・育児に関するアプリ「ママリ」を運営する会社「コネヒト」(東京都)は昨年8月、育休を取得した男性のうち、44.5%は1日の家事・育児時間が「3時間以下」だったとする調査結果を公表した。2019年にも同様の調査をしていて、育休を取得しながらも家事・育児をほとんどしない状態を「取るだけ育休」と名付け、社会に問題提起している。
 男性の育休取得の機運が高まっていて、今年4月からは育児・介護休業法の改正により従業員数千人超の企業は育休の取得状況を年1回公表することが義務付けられる。

 
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 同社の高橋恭文代表取締役(沼津市出身)は、イメージ向上のために企業側から育休取得を求められる“とらされるだけ育休”の増加が今後予想されると指摘。「今こそ取得率だけでなく、どう過ごすのかという〝育休の質〟に注目してほしい」と訴える。

 リスキリングとは 職業能力の再開発。現在の職業で求められる能力の変化に適応したり、新たな職業に就いたりするために、必要な知識や技術を身に付けること。社会に出た後、仕事と教育を繰り返す「リカレント教育」と合わせて語られることも多い。リスキリングは、興味・関心に基づく学びでなく、職業において価値を発揮するために必要なスキルを学ぶことに主眼が置かれる。
 〈2023.03.10 あなたの静岡新聞〉

首相が支援表明も反発相次ぐ 問題の発端は

 岸田文雄首相が、育児休業中の女性がスキルを身に付けるための学び直し「リスキリング」を支援する考えを表明したことに反発の声が相次いでいる。子育て当事者らが「育児は仕事よりも大変」などと非難し、首相は発言の3日後に「本人が希望することが前提」と強調。釈明に追われた格好だ。

リスキリングを巡る主な発言・投稿(似顔 本間康司)
リスキリングを巡る主な発言・投稿(似顔 本間康司)
 「育児中など、さまざまな状況にあっても主体的に学び直しに取り組む方々をしっかりと後押しする」。27日の参院代表質問での首相答弁。自民党の大家敏志氏が、産休・育休中に技能や学位を取得することで「キャリアアップが可能だ」とし、リスキリングに取り組む企業を支援するよう提案、首相は賛意を示した。
 首相の発言に対し、交流サイト(SNS)のツイッターで「赤ちゃんの育児は過酷」「学び直しの時間などない」と批判が続出。IT企業サイボウズの青野慶久社長は「赤ちゃんを育てるのは、普通の仕事よりはるかに大変。子育てをしてこなかった政治家が言いそうなことですね」と指摘した。
 子育て支援に取り組む認定NPO法人フローレンスの駒崎弘樹会長は「政治家が男性育休取ってないから、こんなトンチンカンなこと言い出すんだよ」と皮肉った。その上で、政府がリスキリングを推進するなら、育休中も保育所に預けられる制度にすべきだと求めた。
 野党も攻勢を強めた。共産党の小池晃書記局長が29日のNHK番組で「育休中は子育てに格闘している。リスキリングなどできるわけがない」と述べた。国民民主党の榛葉賀津也幹事長も「がっかりした。(子育て支援の重要性を)『自民党さん、やっとわかってくれたな』と思ったら、総理がこれを言うんですから」と批判した。
 こうした反発も受け、首相は30日の衆院予算委員会で沈静化を図った。自民党の鈴木貴子氏への答弁で「私自身も3人の子どもの親。子育てというものが経済的、時間的、精神的に大変だというのは目の当たりにしたし、経験した」と言及。27日の自身の答弁について「本人が希望した場合には、学び直しを後押しできる環境整備を強化していくことが大事だ」と理解を求めた。
 日本総合研究所の池本美香・上席主任研究員は「子育てで体調を崩す母親への支援が求められる中で、学び直しと言われてしまうと『現場を分かっているのか』という反発が生まれるのは当然だ」と話す。
 一方、日本では育児負担が母親に集中し「学習機会が失われているのは確か」と指摘。母親が大学で学ぶために子どもを保育所に預けやすくしたり、男性の育児参加を促したりするなど「どのような形で学びの機会を保障するか、丁寧に説明する必要がある」と強調した。

学び求める背景は? 国保祥子・静岡県立大准教授インタビュー

 岸田首相の国会発言をきっかけに、賛否両論が巻き起こった育休中のリスキリング(学び直し)。育児軽視との批判の一方、肯定的な声も上がりました。県立大発のベンチャー企業「ワークシフト研究所」が主催する産休・育休中の人たちなどを主な対象とした講座「育休プチMBA」はことしで10年目を迎えます。女性リーダー育成プログラムも加わり、海外も含めこれまでに延べ約1万7000人が受講しています。産前産後の人たちが学びを求める背景にあるものとは。同研究所所長の国保祥子さん(県立大経営情報学部准教授)に聞きました。(教育文化部・鈴木美晴)

国保祥子さん
国保祥子さん

学ぶ選択肢 次代に増やす必要 ワークシフト研究所所長/国保祥子さん
 講座を始めたきっかけは。
 2014年、長女を出産後にエクササイズ教室で第2子育休中の女性と出会ったことです。彼女は育休からの復職後、子育てとの両立で働く時間が制約されても成果を上げるため、仕事に役立つビジネススキルを身に付けたいと思っていました。
 復職後に成果を上げるには、組織全体の目線で自分が何をすべきか俯瞰(ふかん)できることと、時間の制約がある中でも自分がチームに貢献できることを考えるのが有益です。そのためには管理職や経営者の思考を学ぶトレーニングが有効と考え、彼女の自宅で講座「育休プチMBA」を始めました。

 何を学ぶのですか。
 「定時後にクレームが入った」など、復職後に直面することが予想される「あるあるの壁」をテーマに、管理職目線でケース・ディスカッションを行います。これにより、自分一人で頑張るのでなく、組織の中で人と助け合いながら成果を出す思考法を身に付けます。口コミなどで希望者が増え、半年後には会場を借りて開催するようになりました。

 受講者の特徴は。
 9割超は女性。復職後の働き方への不安を取り除きたいという人が多いです。残業も転勤もいとわない「無制限な働き方」でも、負担は軽いがやりがいを感じにくい「マミートラック」でもない。新しい働き方へのニーズが、講座が支持された背景にあると考えています。

 心身ともにつらい育休中に、学ぶ意義は何でしょうか。
 子どもを育てることと、養育者の心身に負担をかけないことが、何より大切なのは言うまでもありません。その上で育休中にリスキリングできるか、したいかは、個人個人の状況や意思により大きく異なります。人に強制されるものではなく、あくまで個人の選択であるべきと考えます。
 学びという観点では育休中に限らず、学びたい時に学べば良い。一般的に危機意識や問題意識がある時は、学ぶ意欲が高まり効率的に学べるタイミング。その意味で「以前と同じ働き方が難しくなる」という問題意識がある育休中は学びに適した時期とも言えます。

 保育とセットが大前提
 乳幼児の世話と学び直し。どうしたら両立できるのでしょうか。
 育休中のリスキリングには、子どもの保育が不可欠です。自分一人で育児・家事・学びの全てをこなさなければならない状況では「育休中に学び直しなんて無理」と批判されるのは当然です。未就園児の一時預かりの充実など、多様な雇用形態の人が理由を問わず、気軽に利用できる保育サービスの拡充に期待します。

 幼いわが子を他人に預けることに抵抗を感じる人もいそうです。
 当時0歳だった長女を育休中に初めてベビーシッターに預けた時は、私もとても不安でした。でも仕事も育児も、個人でなくチームでやるもの。個人で抱え込み、つぶれてしまったら家族も職場も私も、誰も幸せにならないと思い、夫と家事育児を分担し、さらに信頼できるシッターを見つけ「チーム育児」の体制を育休中に築いておこうと考えました。シッター代はかかりますが、仕事を続けてスキルアップするための投資と考えました。
 複数のシッターと面接し、人として信頼できる方を探しました。頼りにしたシッターは泥遊びや絵の具のお絵描きなど、母親の私が後片付けの手間を考えて敬遠してしまう遊びを長女に思い切りさせてくれました。私がつい先回りしてやってしまうことも、娘が自分でできるまで根気強く向き合ってくれました。おかげで娘は何でも親に頼るのでなく、周りの人に説明して協力を得る力が身に付きました。

育児と仕事 択一でない
 
「育休中の学び直し」を巡る賛否両論。どう受け止めましたか。
 批判の根底には、育児の尊さや大変さをないがしろにされたと感じた怒りがあったとみています。育児と仕事については、人によって考え方がさまざま。岸田首相が「育休中にリスキリングすべき」と言ったわけではありませんが、より丁寧な説明が求められていたように思います。
 仕事をせずに育児に専念する。子どもを持たず仕事に専念する。育児と仕事を両立する…。どの選択肢も尊重されるべきです。大切なのは、次の世代に選択肢を増やすこと。強制するのではなく、学び直したいと思った人ができる環境づくりは必要だと思います。

 子育てと仕事の両立の展望を描きにくいことが、少子化の背景にあると指摘されます。
 大学の講義で、子育てしながら働く私自身の経験を語ることがあります。印象的なのは「仕事を諦めなくて良いのですね」という学生の感想。もちろん子どもが生まれたら、仕事の時間の長さや自由度を制約されることも少なくありません。でも、育児か仕事か―。どちらか犠牲にして、一つだけを選ばなければならないわけでもない。家事育児は母親だけがすべきことではありません。家族と分担できるし、家事代行、ベビーシッター、ファミリーサポートなど官民サービスも使えます。育児と仕事を両立する選択肢もある。娘にも教え子にも、そう伝えたいです。
 育休中の学び直しを含め、私たちまでの世代がぶつかった壁を取り払い、次の世代に選択肢を増やすための議論が広がることを願っています。

育休プチMBA 復職後の働き方考える
 育休プチMBAは、ワークシフト研究所が毎月開催する育休取得者などを対象にした講座。「定時後にクレームが入った」「時短勤務でやりがいを感じられず退職が頭をよぎるようになった」など、復職者がしばしば直面する困難を具体例に、少人数で打開策を討論。上司や同僚とのコミュニケーション方法、タイムマネジメント(時間管理)、経営者の視点などを学ぶ。「MBA」という名前だが、学位を取得するのではなく、復職のための考え方を身に付ける。
 1回約2時間の講座を数回受講するパターンが主流だが、単発受講(1回5000円)も可能。オンラインと会場開催の両方がある。赤ちゃん同伴で受講でき、会場でも抱っこや授乳、おむつ替えができる。1500人超の受講者コミュニティーがあり、悩み相談や交流会が開かれている。

 こくぼ・あきこ 県立大経営情報学部准教授。専門は組織管理論、組織行動論。同大発のベンチャー企業「株式会社ワークシフト研究所」(東京都)を立ち上げ、所長として「育休プチMBA」を含めた人材育成プログラム開発を担う。著書に「働く女子のキャリア格差」がある。
 〈2023.03.17 あなたの静岡新聞〉
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