大自在(11月24日)スタットラー

 雪化粧が富士山を一層美しく見せる。通商を使命に来日した米国総領事ハリスが初めて富士山を見たのは幕末の1857年11月24日。下田から江戸に向かい、険しい天城越えをした夕刻、「輝いた太陽の中で、凍った銀のように見えた」と日記にある。
 秘書兼通訳のヒュースケンは、輝く冠雪を「光の山」と称される英王室の特大ダイヤモンドに例えた。その興奮ぶりを米作家オリバー・スタットラーが「下田物語」(1969年)で再現している。〈日本の鼻柱なり不二の山〉という江戸時代の俳句があるが、2人にはまさに「不二」だったようだ。
 スタットラーは進駐軍の文官として47年来日。日本の歴史文化への興味を深め、旧東海道興津宿(現静岡市)の旅館水口[みなぐち]屋を何度も訪れて61年、「ジャパニーズ・イン」(邦題「ニッポン歴史の宿」「東海道の宿」)を出版した。「下田物語」の取材では現地に2年間滞在して多くの人に会った。
 「ジャパニーズ・イン」は、晩年を興津で過ごした最後の元老、西園寺公望も取り上げている。水口屋は西園寺の「坐漁[ざぎょ]荘」に近く、政財界の大物や文化人が利用した。西園寺は戦争回避を唱えながら40年11月24日、91歳で死去した。
 県内を舞台にした史実に基づく2作品からは、温かいまなざしが感じられる。地元の人たちの取材協力も偉業に寄与したかと思うと誇らしい。
 今も、さまざまな場面で情報発信が重要だと繰り返される。スタットラーは、海外に情報発信してくれただけでなく、日本人にとっても貴重な記録を残してくれた。

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